2013年07月11日 11:42   福島第一原子力発電所 大放出とベント、D/W圧力低下との関連性

Juno

3月15日にベントによる放射性物質の大放出があった。ベントに伴い、D/W(ドライウェル)の圧力が低下したという話を耳にする。果たしてそうだろうか。

下記は、東電が公開してるD/Wの圧力データをグラフにしたもの。グラフ作成に使用したExcelファイルをアップロードした。

福島第一原子力発電所 1~3号機のD/W圧力(MPa abs) 2011年3月

対象期間が長いと分かりにくいので、3月14日 00:00~3月16日24:00のデータのみを指定してグラフを作成した。

福島第一原子力発電所 1~3号機のD/W圧力(MPa abs) 2011年3月14日~16日

3月15日にD/W圧力が大きく変化しているのは、2号機。06:25に0.73MPaだったD/W圧力が11:20に0.155MPaまで低下している。が、この間のデータは、1~3号機ともに欠落しており、いつD/Wの圧力が低下し始めたのかは、分からない。データが欠落している期間に、値の乱高下があったことも考えられる。

次に、ベントとの関連を見てみる。下記の画像は、東電が公開している「福島第一原子力発電所事故における放射性物質の大気中への放出量の推定について」という資料の別紙2-8、別表1、「ベント実績について」を切り出したもの。

ベント実績について

この資料によると、2号機は、日付が3月15日に変わって少し経ったあとは、ベントが行われていなかったことが分かる。

3月15日未明以降もベントが行われていたのは、3号機だけだった。3月15日の大放出がベントによるものだとすると、それは、3号機由来ということになる。が、3月15日の3号機のD/W圧力は、16:00までほぼ安定していた(※データ欠落期間に変化した可能性は、残る)。ベントによる大放出があり、それに伴いD/W圧力低下があったとするには、それを裏付ける材料が不足している。

以前、ベントは、圧力を逃がしたら、せいぜい1時間ぐらいで弁を閉めるのかと思っていたが、どうやらそうではないようだ。3号機のベント実績を見ると、3月13日から少なくとも1週間は、常にベント弁を開状態に保つべく手配がされたように見える。

3号機のベントは、いずれもS/Cベントで、小弁、大弁のいずれを経由する場合も、AO(空気作動)弁を通すことになる。AO弁は、開状態を保つために、空気圧をかけ続ける必要がある。空気圧がかけられなくなったら弁が閉じる。東電資料の「ベント実績について」から、弁が閉まっていることを確認した時間は、分かるが、実際に弁がいつ閉まったのかは、分からない。3号機は、弁が閉まっていることを確認したあと、何度も何度も、弁を開いてベントを継続しようとしたようだ。

3号機は、3月13日から1週間は、(変動はあるものの)常に放射性物質が放出され、時には神風、時には悪魔の風が吹いたのだと考えている。

2013年03月15日 05:07   福島第一原子力発電所事故における放射性物質の大気中への放出

Juno

東京電力が公開している「福島第一原子力発電所事故における放射性物質の大気中への放出量の推定について(PDF)」という資料(以下東電資料)がある。放射性物質が、いつどれぐらい放出されたか、チェルノブイリ原発事故と比べてどれぐらいのインパクトがあったのか、とても気になっているので、この東電資料を検証し、Microsoft Excelシートにまとめた。

福島第一原子力発電所事故における放射性物質の大気中への放出の検証(43.2MB)


福島第一原子力発電所事故における放射性物質の大気中への放出

検証の結果、私が「こうかな。こうじゃないかな?」と思ったことを列記する。

  • 旧保安院の資料では、放出の大半(約9割)が2号機由来とされていた。東電資料で、1~3号機のI-131、Cs-134、Cs-137の放出量をINESの資料に基づいてヨウ素換算すると、1号機が16.5%、2号機が45.8%、3号機が37.6%となる。
  • ベント弁の閉が確認された時間は、記録されているが、実際にベント弁が閉じたのがいつかは、不明。
  • 東電は、ベントによる放射性物質の放出が少なかった根拠として、S/Cベントで水をくぐらせたことを上げている。しかし、大量の放射性物質に対する除去効果は、分からないという指摘もあり、ベントによる放出が少なかったどうかは、疑わしい。
  • 3月13日 20:00以降、4月8日 18:30頃までの間、3号機では、常にベント弁を開状態に保つべく手配がされた。手配通りベント弁が開いていたとしたら、D/W(ドライウェル)と建屋外は、ツウツウに近い状態だったことになる。
  • 3月14日 11:01の3号機の爆発により、3号機から排気筒に繋がる配管が破損した。これ以降、3号機でベントを行うたびに、配管の外れたところ(もしくはそれより上流)から、放射性物質が放出された。
  • 1、2号機は、ベント弁が開状態にあった期間が短く、3月15日 00:00頃以降は、常に閉状態にあった。
  • 3月15日 06:14の4号機爆発は、3号機から排気筒に繋がる配管が破損してから19時間あまり経っており、3号機で発生した水素が、3、4号機の共用排気筒に繋がる配管から4号機に逆流したとする説は、納得しがたい。
  • 3月15日の放出が最も甚大な被害を及ぼした。放出があったときと放出後の風向き、降雨により、地表に放射性物質が定着した。
  • 3月16日に最大の放出があった。北風に乗った放射性物質が、約12km南の福島第二原発、約43km南の、いわき市で線量のピークをつくった。幸い風向きが変わり海に向かう風となったため、3月16日の放出による被害は、比較的軽微にとどまった。
  • 東電資料では、3月18日、3月19日、3月28日にも、それぞれ、全放出量の5%以上の放出があったとされている。3月18日の放出は、陸へ。3月19日、3月28日の放出は、海に向かった。
  • 大放出は、D/Wの圧力低下と関連性が深い。が、東電資料で大放出があったとされている時の原子炉、D/W圧力データが欠落しているものが多く、判断に迷う。
  • 3月15日の前半に2号機、3月15日の後半から3月17日未明頃にかけて3号機の原子炉、D/W圧力が減少している。この間は、(流量の増減を伴ったであろうが)放出が続いていた。

東電資料には、判断、判定を間違っているのではないかと思われる点が散見される。3月16日の最大の放出とされているものは、08:30の白煙確認とD/Wの圧力低下を、3号機由来である根拠としている。が、放出期間は、10:00~13:00とされており、白煙確認時刻、D/Wの圧力が急減した時刻より放出開始時刻が後になっている。また、ふくいちライブカメラに写った1、2号機の共用排気筒からの蒸気を、3、4号機の共用排気筒と見間違えていると思われる記述もある(3月13日 09:00~09:10の放出)。東電の検証結果は、旧保安院の試算(放出の大半を2号機由来としている)よりは、妥当性が高いと思うが、まだ分からないこと、はっきりしないことが山ほどある。

東電資料によると、I-131の放出が500PBq、Cs-134とCs-137の放出がそれぞれ10PBq。Cs-137の沈着量の評価についての記述を見ると、原発周辺の50km四方で、沈着量の半分弱が海に落ちたものとしている。東電の放出量の試算値を2で割ると、早川由起夫氏の算出値とほぼ同じになる。福島第一原子力発電所事故による地表の汚染は、チェルノブイリの1/10前後と見て、よさそうに思える。

2013年02月24日 07:27   2011年3月11日以降の福島第一原発周辺の風向・風速

Juno

国立情報学研究所により可視化された、福島第一原発周辺の風向・風速マップデータを結合して動画にした。

気象モデルによるシミュレーションの結果であり、観測値そのものではないことに注意。詳しい情報は、東日本大震災アーカイブ - 国立情報学研究所を参照。

地上 (10m) / 詳細 3/11~3/30



地上 (100m) / 詳細 3/11~3/25



地上 (10m) / 広域 3/11~3/25



上記YouTube動画のオリジナルデータ

MPG形式動画。640 x 640 pixel。下記リンクよりダウンロードした動画をプレーヤーで再生し、適宜一時再生すると、より分かりやすいでしょう。

2011年04月26日 15:00   ベクレル(Bq)からシーベルト(Sv)への換算を行うためのExcelシート (福島第一原発事故関連資料)

Juno

ベクレル(Bq)からシーベルト(Sv)への換算を行うためのExcelシート (Ver. 2003形式)です。ダウンロードしてお使いください。

A列にベクレル数を入力すると、シーベルトに換算された値が得られます。ICRPとECRR2010それぞれの実行線量係数を用いて、主要な核種ごとの値が分かるようにしています。

このExcelシートは、自分自身の理解のために作成しました。誤記入や理解不足による計算ミスなどがあるかもしれません。

福島第一原発の事故後、どのぐらいなら大丈夫そうかを知りたいと思い情報収集しましたが、さまざまな値、単位が使われていることもあり、比較、検証が困難でした。また、同じベクレル数でも、団体や研究者によって扱いが異なることから、危険性を過小評価していない値を知りたいと思いました。そんな思いで作成したものです。素人のやっていることですので、正確な情報を知りたい場合は、しかるべきところにアクセスするなどして、情報収集することをお勧めします。

ベクレル(Bq)からシーベルト(Sv)への換算を行うためのExcelシート

2011年04月03日 15:00   ビザ取得の壁

Juno

当初は、アメリカへの移住を想定して準備を進めていました。「日本を離れ、海外で暮らしたい」という意向を伝えたなかで、自宅の部屋の提供、アメリカでの生活のスタートのサポートを申し出てくれた知人がいました。

私が彼ら(夫婦と子供2人)に会ったのは、一度だけでした。2002年、ケンチク家の日詰氏とともに、共通の研究をしていた彼らを訪ねたのでした。彼らは、初対面の私たちをとても歓迎してくれました。そして、その後、年に1度あるかないかというぐらいですが、メールでのやり取りを重ねていました。

3月11日に地震がおきたあと、日本と私たちのことを心配するメールをもらいました。彼らへの返信メールで「状況がより深刻になりそうなら、実家のある高知に避難する」ことを伝えました。そして、その翌日には、日本を離れる決意を伝えることになりました。

とにかく日本を離れるということしか考えていなかったため、ビザや永住権の取得については、ほぼ未調査でした。計画と称した無計画停電、仕事、引っ越しの準備などで時間もとれませんでした。

神奈川から高知に引っ越す前には、ワークショップ用につくらせていた多面体のキット、それらの組み立ての際に必要な工具類を、アメリカの知人宅に宛てて発送しました。これらも、一度は処分することを考えたものです。過去に創作したものなども全て、あきらめないといけないと思ったからでした。

引っ越し後、ある程度落ち着いてから、ビザの壁に直面します。目指すは永住権です。ビザを取得し、日本に帰らなくてもすむように、永住権取得に繋げないといけません。

アメリカの永住権取得が難しくなっている話は、把握していました。ですが、情報を集めるにつれて、その前段階となるビザの取得も、相当な困難を伴うことが分かってきました。

アメリカに限らず、英語圏の先進国で労働ビザを取得する場合、相手国から来てほしいと思われるような売りがないと厳しいです。では、低賃金の単純労働ならOKかというと、そうもいきません。労働ビザ発給の根拠となる労働を提供する会社は、雇用者に一定の賃金を保証しないといけません。それは、日本で「サラリーマンの平均年収」とされている金額と同等か高いぐらいです。賃金に見合うパフォーマンスを発揮できる見込みがなければ、会社は雇ってくれません。

言葉の壁もあります。ある程度の収入が保証されるような仕事では、英語でのコミュニケーションがとれないと話になりません。十分な英語力がないのに雇ってもらおうと思ったら、英語力を補って余りあるセールスポイントが必要になります。

アメリカには、多くの知人がいます。アメリカも多くの問題を抱えた国ですが、広大な国土があるので、国が傾いても国民を食べさせるだけの食糧は自国だけでまかなえます。このようなことも考え、しばらくは、アメリカにターゲットをしぼって道を探っていました。ですが、調べるにつけ、ビザや永住権の取得が困難なこと、あまり将来の展望が明るくないことが分かってきました。協力の依頼をしていた多くの知人から帰ってくる、「アメリカは不景気なので」という返信からも、計画の再考をせざるをえないと考えるようになりました。

2011年03月26日 15:00   ネット回線の確保

Juno

神奈川の家では、NTTの光回線でインターネットに接続していました。以前回線スピードのテストをしたときは64MBpsぐらい出ていて、ブロードバンドと言う名にふさわしいスピードでネットに繋ぐことができました。

引っ越し前にNTTに回線の引っ越しの依頼をし、引っ越し先の高知で回線が利用できるようになるまでに、相当な日数待たされることが分かっていました。引っ越しをしても仕事はあります。インターネット接続が必須の仕事なので、回線の確保は急務です。

神奈川で暮らしていたときは、EMOBILEの携帯電話を契約し、携帯電話で定額のPC接続サービスも利用できるようにしていました。これが高知でも使えればいいのですが、EMOBILEのサービスエリア情報によると、引っ越し先の従兄の家は、まわりをぐるっとサービスエリアに囲まれているものの、陸の孤島のようにサービス対象外となっていました。ですが、使ってみたら電波を拾えたということもあるので、わずかながら期待をしていたのでした。

3月25日の夜、空港から従兄の家に向かう車中では、携帯電話のアンテナ状況を確認しました。高知市内ではアンテナが何本か立つものの、従兄の家に近付くにつれ電波が弱くなり、従兄の家に到着するまでに、みごとに圏外になりました。

従兄の家の近所の喫茶店まで出て試してみると、一応は電波を拾えます。ですが、これで仕事をこなすのは無理なので、EMOBILEでのネット接続は、あきらめざるをえませんでした。

EMOBILEがダメな場合の選択肢も、引っ越し前に調べていました。DoCoMoの携帯電話を契約し、これで定額のPC接続サービスを利用する方法です。

高知では、サービスの選択肢が限られています。携帯電話も、「ちょっと山あいに行ったときに繋がらないと困る」ということだと、DoCoMo一択みたいになってしまいます。

EMOBILEがダメなことが確定してすぐに最寄りのDoCoMoショップに行き、携帯電話の新規購入、契約をしました。数ヶ月で日本を離れる前提、PC接続定額という条件を伝え、私と妻の2人分の手続きをします。携帯電話の維持費は、2人分で月3万円近く、神奈川にいたときの約3倍になりました。固定回線が引かれるまでの繋ぎとは言え、結構な出費です。

仕事を続けるためにはやむをえなかったのですが、そうまでして仕事を継続しようとしたことは、会社からは評価されていないでしょう。安全性が担保されなくても出社する、社畜と化さないといられないような会社が、日本には多いと感じています。事故が終息していないあいだに出社することで健康や生命を危険にさらすという私の考えは、正常性バイアスの強い日本では、受け入れられないものだったのでしょう。

この頃は、ネットの掲示板などでも、原発事故後の出社を自主的に控えた人、遠くへ避難した結果出社が困難になった人を叩く声が多くありました。結果はどうなったか。放射性物質の降下が特に多かった3月15日、3月21日に被曝を軽減できたのは、危険を予測し、実際に行動を起こした人の方が多かったはずです。

原発事故後、その時々の行動が安全だったか危険だったかは、何年、何十年も経たないと結果が分からないこともあるでしょう。自分が健康でも、同年代の人、同じような行動をとった人の寿命が縮んだことで、統計的に危険だったことを認識するかもしれません。安全、危険の判断をすべきだったそのときに、安全を主張する人の意見と、危険を主張する人の意見が折り合うのは、難しいでしょう。

自身が危険性を認識しているときは、判断を他者にゆだねず(信頼に足ると思われる情報を集めることは重要です)、自身の判断を信じて動くことをお勧めします。他者に判断をゆだねて失敗したときの後悔は大きいです。自分で決断して自分で動けば、少々の失敗など気にならなくなります。正しいと思う道を自分で選ぶ繰り返しが、人生の満足へと繋がると信じています。

2011年03月25日 15:00   風呂無し生活

Juno

借りることになった従兄の家は、水道、電気は使えるものの、風呂、台所の給湯は使えませんでした。ほぼ物置としてしか使われていなかったこともあり、少し前にガスの契約も打ち切り、給湯の設備も取り外したばかりでした。

調理用の熱源は、母が持ってきてくれていたカセットコンロがあったので、不便、不十分ながらもある程度の用は足せましたが、風呂が使えないのは困りました。緊急事態であること、避難生活なのである程度の不都合は受容せざるをえないということを自分自身にも言い聞かせ、より安全な場所に移れたことを、前向きに受け止めるように心がけました。

給湯は、数日後、近所の業者さんにセットアップをしてもらいました。このようなときは、狭い田舎の社会がプラスに作用します。業者さんは、従兄、従兄の家、父のこともよく知っています。ここいらは、勝手知ったるホームグラウンドのようなものです。交渉役として父にあいだに入ってもらい、中古でもいいので急ぎで給湯器を付けてほしい旨要件を伝え、破格の条件で設置をしてもらいました。

家で風呂に入れない数日のあいだ、耐えかねて一度温泉に行きました。高知には、銭湯がほとんどありません。ネットでそのことを再確認し、同じ町内にあるかんぽの宿で、日帰り入浴をしてきました。私は温泉の類は好きではないのですが、このときは生き返った気持ちになりました。

2011年03月25日 09:55   高知へ

Juno

羽田を夕方に出る飛行機で高知へ。鉄道、車での移動も検討しましたが、トータルで移動に要する時間と猫への負担を考え、飛行機を使うことにしました。昨日、引っ越しの積み込みをした荷物は、一足先に高知に到着しています。

空港までの移動はタクシーで、あらかじめ猫4匹がいることを伝えてありました。車中、ケージに入れられた猫の苦情が身にこたえました。人間の都合で振り回されて、いい迷惑だと思います。

飛行機の国内線で猫を運ぶ場合、通常だと1匹につき5000円ぐらいかかるようです。ですが、「震災の影響で避難や移動が増えているのでキャンペーンをしている」ということで、猫の旅費は無料になりました。猫4匹ともなると結構な負担になるので、助かりました。

高知龍馬空港には、両親が車で迎えに来てくれました。前回帰省したのは、入院している兄の見舞いのときで、そのときは、次に高知を訪れるのはずっと先になるだろうと考えていました。このようなかたちで高知の地を踏むのは、複雑な気分でした。

これからしばらく借りることになる従兄の家は、従兄の姉(彼女も私の従姉です)や両親が片付けをしてくれていました。限られたスペースで生活することを覚悟していたので、これも助かりました。反面、「これだけスペースがあれば、もっと引っ越しのときに色々持ってくればよかった」とも思いました。なかなか欲を切り離せないものです。

家に入り、ケージの扉を開けると、いつもは剛胆な最年長の猫ですら、警戒心を隠せない様子でした。彼らには、これからあと数回、飛行機に乗ってもらわないといけません。移住に失敗して日本に戻るはめになったら、さらなる負担をかけてしまいます。そうならないよう、海外に根を下ろせるようにしたいと思いました。

2011年03月20日 15:00   自宅の処分、日本に戻らない決意

Juno

住み慣れた自宅は、手放すことにしました。

チェルノブイリ原発事故がソ連崩壊の一因となったように、福島第一原発の事故は、日本の経済に致命的なダメージを与えるでしょう。

地震、津波、原発事故によって被害をうけた人に、人道的な見地に基づいて補償を行うことを考えてみます。そのとき、補償に要する金額は、膨大なものになります。地震と津波だけなら、厳しいながらもなんとかなったかもしれません。復興に伴う負担増に耐え、時が経つごとに、前進したことを実感できるようになったと思います。

原発の事故は、この希望も吹き飛ばしてしまいました。放射能汚染された土地に長期にわたって住めなくなることは、チェルノブイリの先例に学べばあきらかです。

原発事故により、日本が失う土地は、いかほどでしょうか。それが仮に1/10になると仮定してみます。このような広大な土地代を、東電が補償できるわけがないです。国や自治体が補償するにしても、結局、その財源は、国民の懐から払われることになります。日本国民が平均して1/10の資産を失うことになると考えると、何も行動を起こさずに自分だけが今までと同じでいられると考えるのは、平和ボケではないでしょうか。

実際は、失う土地が1/10の場合、それに伴う損失は、1/10よりはるかに大きなものになるでしょう。被害をうけた人の移動に要する費用、失業補償、精神的な損害などを考えると、膨大な金額になります。

自宅を手放すのは、つらい選択でした。平和なときに手放すのと比べると、はるかに悪い条件で処分することになりました。ですが、これから先のことを想像し、「今なら損失が1ですむけど、1ヶ月後には損失が2になるかもしれない。1年後には10になるかもしれない」と考えて決断しました。もう二度と日本には戻らない、戻りたくても戻れなくなるかもしれないと思い、そう自分に言い聞かせました。

原発事故は、これまでの生活の前提を変えました。そのことを認識し、人生の損切りができない人は、将来、もっと多くのものを失うことになるかもしれません。原発事故のリアルな情報に触れられる者は、既に抜け駆けをしているのではないでしょうか。仮に、「関東も住めなくなるかもしれない」ということを、ごく一部の人が知り、その人が関東に会社や不動産を所有していたら、他者に情報を伝える前に、自身の資産の処分を検討するのではないでしょうか。爆発によりプルトニウムが飛散したと思われるなか、「ただちに影響はない」と繰り返しつつも自身は高性能のマスクを着けるような人達が、国民のためを思って、将来のリスクを避けるための情報提供をしてくれるでしょうか。

日本人は、「国の借金が1人あたり○万円ある」と、常に脅されています。ですが、この借金の大半は日本の国債なので、もしチャラにされとしても、国際社会のなかで日本が沈んでしまうことはないでしょう。

日本が大量に買っている米国債は、どうでしょう。これから日本は、海外にものを売りにくくなります。特に食品は、安全なものを確保しようと思うと買う一方になります。輸入超過で持ち出しが多くなり、財政が立ちゆかなくなったときの資金源として、「米国債を売るからよろしく」と言えるでしょうか。

私が米国の立場なら、「日本の原発事故による汚染で被害をうけている」として、日本が売りたい米国債に見合うか、それ以上の損害賠償請求をするでしょう。米国だけではありません。原発事故による汚染は、多くの国にとって、日本からの借金をチャラにするチャンスになっています。事故による汚染は地球規模での深刻な事態ですが、それとは別に、多くの国が、その国の経済事情で動いています。自国が厳しい状況にあれば、日本を助けることより自国を優先するでしょう。

日本という国が、自国民を守ろうとしないことにも絶望しました。これも、日本を離れる決意を固いものにしました。

2011年03月19日 15:00   高知への引っ越し準備

Juno

海外移住の第一段階として高知に移住することとなったので、そのための準備を進めました。

あいにくの引越シーズンと重なり、引越業者、移動日ともに自由には選べませんでした。引越シーズンが終わるのを待ち、予定を先延ばしにしていると、それまでに致命的な事態を迎えてしまうかもしれません。ぎりぎりの準備期間を残し、移動日は3月25日(金)に確定しました。引っ越しの積み込みは、その前日です。

引っ越し先の従兄の家には、誰も住んでいません。ですが、従兄と従兄の姉弟の所有物などが残ったままになっており、引越後に自由に使えるスペースは、かなり狭くなってしまうことが予想されました。

また、最終目的が海外移住であることを考えると、日本から持ち出せない、持ち出すのが困難、移住先で再度購入するほうが好ましいものは、この段階で処分するのが妥当だと考えました。火事のときに、すぐに手に取れるものをつかんで逃げるぐらいの覚悟で、泣きながら多くのものを処分しました。

8年半ほど暮らした家ですから、家の中は、使い慣れたもの、安心感を与えてくれるもので満ちています。自宅にあわせて設計、自作したキャットタワーや猫棚(猫が窓の外を見るための棚)、9割方完成していた猫のケージ、妻が毎日のように演奏の練習をしていた電子ピアノもあきらめました。

4匹の猫は、同じ飛行機で高知に飛べることが確定していましたが、60cmの水槽で飼っていた熱帯魚は、引越業者の取り扱い対象外でした。引き取り手も探しましたが、なかなか見つからず困っていたところ、知人が飼ってくれると申し出てくれました。とても感謝しています。

引っ越しの日が確定してから、多くの人が家を訪れました。廃棄を覚悟していたキャットタワーなど、一部のものは、知人に引き取ってもらったことで、ずいぶん精神的に救われました。

自宅を訪れたなかで、引っ越しの理由として、「放射能汚染から逃げるため」ということを伝えられた人と、そうでなかった人がいます。なぜ避難するのか、避難に値するほどの危険性があると認識しているのか、そのことを全ての人に伝える時間は、ありませんでした。

このエントリーを書いている2011年8月現在、日本が、汚染された土壌と水、食料への徹底的な対策をとる方向にシフトすれば、まだ、安全性の担保された暮らしを続けられるかもしれません。今、このときまでもそうなるよう願ってきましたが、汚染食品が47都道府県にもれなく出回るなど、事故そのものの酷さ以上に、対応の酷さが目につく結果となっています。

3月に高知に引っ越したときは、日本が貧乏な国になっても、高知では安全な暮らしができるのではないかと期待していました。この期待が揺らいでいることが悲しいです。

2011年03月18日 15:00   危険性の認識

Juno

福島原発の事故状況について、一部の知人は、私と同様、破滅的な被害を予測していました。ですが、友人、知人、ご近所さんをはじめ、多くの人が、ある程度の期間で事故が終息するか、そもそも事故の規模がたいしたことがないという印象を抱いているようでした。

この頃、マスコミでは、喪失した電源を確保するため外部電源を接続し、炉心や使用済み燃料プールを冷却する目論見が伝えられていました。私は、これらの発表が荒唐無稽であると判断し、次のような予測を立てていました。

  • 外部電源確保のための配線完了見込みが、どんどん先延ばしになり、予定していた期日に作業を完了できない。
  • 外部電源確保のための配線確保が完了しても、タービンやポンプが動かない、複数ある原子炉の一部しか電源を供給できないなどの理由で、炉心を冷やすという目的を果たせなくなる。
  • 建屋に放水しても炉心を冷却することができないので、再臨界、水素爆発、水蒸気爆発などにより、遅かれ早かれ大量の放射性物質が放出される。
  • 高い放射能により、原発への接近がさらに困難になり、チェルノブイリでやった石棺のような手段しかとれなくなる。

私が信頼に値すると見なしていた情報では、既に燃料棒が溶け、メルトダウンのような状態になっているとの見方が主流でした。燃料棒の融点が2800度ですから、これが溶けているような場合、圧力容器の内部は、極めて高圧になります。そんなところに消防のポンプを繋いで水を送り込もうとしても、水が入って行かないか、必要な流量を確保できず焼け石に水になるだけでしょう。電源が確保できれば炉心を冷却できるという話は、事態が良い方向に進捗しているように見せかけ、安心感を与えるためのポーズに過ぎないと判断しました。

また、仮に消防のポンプで水を送り込めるようなら、圧力容器の密閉性が損なわれ、内容物が漏れ出ている状況にあると判断しました。高温高圧になっているはずの圧力容器に水を送り込めるとしたら、密閉性が損なわれているに違いないという考えです。結局、水が入って行く場合も行かない場合も、どちらにしても手が付けられないと判断せざるをえませんでした。

福島第一原発の事故では、大気中だけでなく、海洋にも大量の放射性物質が放出されました。この頃目にした情報で、漏れ出た放射性物質が従来の安全基準におさまるように希釈するには、全海洋の1/10の水を必要とするという話もあります。壊れた原子炉、建屋の数、原発にある放射性物質の量、日本の人口密度などを考えると、うまく収束しても、チェルノブイリと同程度の被害は避けられないのではないかと思いました。

2011年03月18日 12:00   海外移住の第一段階として高知へ向かう準備を

Juno

海外移住と言っても、すぐに飛べるわけではありません。猫もいます。となると、まずは、できるだけ安全な場所に身を置かないといけません。福島原発からの距離を考えると、関東に居続けた場合、今後の状況いかんによっては、甚大な健康被害を被ると考えました。

私の出身地の高知には、両親、兄弟、多くの親戚が住んでいます。その中で、以前、従兄が住んでいた家が、空き家状態になっていることを覚えていました。

従兄に電話をし、つぎのようなことを伝えました。

  • 原発の事故によって、日本の広範囲が住むのに適さない場所になってしまうこと。
  • 原発事故の状況は、極めて厳しいこと。日本のマスコミでは安全、安心が強調されているが、海外の見方は、全くことなること。
  • 原子炉の冷却が不可能であり、放射性物質の漏出を止められないこと。
  • 被害は関東にもおよぶ可能性が高く、仮に直接的な被害が無かったとしても、日本の経済状況などが変わることで、事故以前の常識を前提とした将来が期待できなくなること。
  • 可能な限り早く避難したいので、空き家になっている家を貸してほしいこと。

従兄は、二つ返事で了解してくれました。高校の先生をしているその従兄には、「修学旅行で関東に来る予定がある場合は、行き先を変更したほうがいい」ということも伝えました。このことは、従兄から従兄の学校にも伝わり、そのことが直接的な原因ではないようですが(あとで父兄からの意見もあったようです)、従兄の高校の修学旅行は、関東には寄らないコースに変更されました。

仮住まいが決まったあとは、実家に連絡をし、日本での生活を諦め、最終的には海外移住する意向を伝えました。両親からは、「そうかね」という反応が返ってきました。これは、私が自分で決めたことを、他者の意見で変えないことを知って(言うのを諦めて)のことと思います。

下の兄にも連絡をし、神奈川から高知への移動形態によっては、岡山のあたりまで迎えにきてもらいたいことなどを伝えました。このときは、まだ移動日も移動方法も確定しておらず、空路、鉄道、車のどれを使うかなど、決めないといけないことがたくさんありました。

このとき、上の兄は入院していました。1月に事故を起こし、生死の境をさまよい、やっと命に別状がないと言えるところまで回復してきたところでした。これまでの人生でなにかと私のことを助けてくれ、応援してくれていた兄のことも、自身の人生を考え直すきっかけになっていました。人生で大きな決断をせまられたとき、大事なことは自分で決め、決めた道に向かって進まなければと言い聞かせていました。

2011年03月17日 15:00   日本脱出を決意

Juno

寿命が縮むかことを覚悟したうえで今の場所に住み続けるにしても、その前提として、福島第一原発の事故対応が適切に行われなければいけません。ですが、ここ2、3日のあいだでも、「それはないだろう」と思うようなことが多々ありました。

3号機爆発によって、日本という国が沈むことは、確定的になっています。汚染された土地に住む人、事故によって被害にあった人をもれなく保証するのは、不可能です。チェルノブイリ原発の事故が旧ソ連崩壊の要因のひとつとなったように、福島第一原発の事故は、日本という国に致命的なダメージを与えました。にも関わらず、事故の被害を過小に見せかける対応が続けられ、根本的な対応は、行われませんでした。この段階で、次のようなことが国民に伝えられるべきだったと考えています。

  • 福島第一原発の事故は、日本という国にとって致命的で、これから先長いあいだ、日本は、厳しい状況に置かれる。日本は、貧乏国になってしまう。
  • 事故による被害があまりにも甚大で、被害への保証をしたくても保証できない。財源がない。そのことを納得してもらったうえで、国としての対応を進めざるをえない。
  • 汚染がひどい地域は、今後長期にわたって住めなくなる。放射性物質の拡散を抑えるためにも強制避難地域とし、全てのものの移動は、制限せざるをえない。
  • 汚染が相対的に低い地域も、放射能汚染による悪影響をうける。汚染状況を公開し、その値を把握してもらったうえで、国民に我慢を強いることになる。
  • 逃げたい人全員が逃げることすら困難。皆が損害を被るなかで、できるだけ公平な対応(国民全員が公平に損をする)を取らざるをえない。

妻とも相談し、日本を離れることを決意しました。決意したあとは、海外の知人にそのことを伝え、協力をしてほしい旨訴えました。下記は、当時出したメールでよく使ったフレーズです。

I guess one third or half area of Japan will be a place where is not suitable for live in. We would like to live in the English‐speaking world. I appreciate your help for our evacuation.

これらのメールを出したとき、内心では、「住めなくなるのが国土の1/10程度でおさまってくれれば、まだ救いがある。なんとかそうなってほしい。」と思っていました。ですが、チェルノブイリ原発の事故と比較すると、悪いほうに転んだときに、国土の1/3から半分が住むのに適さない地域になってもおかしくないです。

2011年8月現在、従来の放射線管理区域の定義を厳密に適用すると、住むのに適さない地域は、悪いほうの予測に近いものになっています。それどころか、汚染された物質の拡散を促進し、日本全体が住めなくなってしまうような対応がとられています。

2011年03月14日 15:00   これから先どうするか

Juno

今後のことを考えました。近々のことと長期的なことがあります。

近々のこととして、会社に次のことを伝えました。

  • 福島原発の事故後の安全性が担保されるまで出社しないこと。
  • 出社することで、健康や生命を危険にさらすリスクが高いと思われること。

長期的なこととしては、次の選択肢を検討しました。

  1. 寿命が10年ほど縮むかもしれない可能性を覚悟したうえで、今の場所(神奈川県伊勢原市)に住み続ける。
  2. 実家のある高知県、もしくは国内のほかの場所に移り住む。
  3. 日本を離れる。

妻とも相談し、このときは、1を選択しました。今の場所を離れるとしたら、仕事や住まいなど、重い決断を迫られます。放射性物質による汚染は、多かれ少なかれ寿命や健康にマイナスの効果を与えます。それがどのぐらいになるかは分かりませんが、受け入れざるを得ないと判断しました。

1~3のどれを選ぶにしても、今日明日に動くことはできません。私も妻もペーパードライバーで車を所有していません。猫も4匹います。また、停電、ガソリン不足で、移動が困難な状況にありました。いずれにしても、降下した放射性物質が落ち着き、大気中の放射性物質がある程度減少するまでは、引きこもるしかないと判断しました。

TVでは、「買いだめは不要」と、しきりに報道されていましたが、我が家では、少なくとも1週間は籠城するつもりで買いだめをしました。猫のエサや猫砂は、あとになって振り返ってみると、3ヶ月分ぐらいの量を確保していました。「買いだめは不要」と言う人が、私や家族の安全を保証してくれるのなら、従ってもいいでしょう。ですが、原発の事故後2~3日のあいだだけでも、多くのウソがありました。ウソに騙されていたことをあとで知っても遅いです。私は、自分や家族の人生、生命を他者の判断にゆだねたくありません。そして、自分が生きのびなければ、ほかの人を助けることもできません。生き延びるためには買いだめが必要と判断し、実行に移しました。

2011年03月14日 03:00   放射性物質の飛散に備える

Juno

3月15日の空間線量率

3号機の爆発により、ウラン、プルトニウムを含む放射性物質が飛散した可能性が高まりました。海外マスコミは、レベル6の災害発生を告げています。

地図で福島原発と自宅、福島原発と勤務先の距離を確認し、放射性物質が風で流されたときに、どのぐらいで到達するかを計算しました。そして、風向きや風の強さによって、早ければ数時間、もう少し時間がかかった場合も、半日から1日程度で到達すると予測しました。

自宅の全ての窓を閉め、雨戸も閉め切り、通気口も塞ぎました。浴槽に水を張り、調理中の換気扇の使用も控えました。近所の人が普通の生活を続け、外に洗濯物を干しているなかで、我が家だけは、おかしなことをしているようでした。

政府、東電、マスコミは、放射性物質の飛散状況についての情報提供をしません。そこで、手がかりとして、我が家から見て風上に位置する茨城県の空間線量率データを参考にしました。

右の画像(クリックすると拡大します)は、茨城県ひたちなか市の3月15日午前の放射線量を示したもの(単位=nGy/h)です。未明に2桁だった線量が朝になって激増し、4桁になっています。放射性物質を含む空気が、ひたちなか市まで到達したと見ていいでしょう。

昨今、比較的なじみが深くなった単位で表すと、値が高いところで3~4μSv/h(マイクロシーベルト毎時)です。チェルノブイリなどで起きた事実に目を向けると、「この日本でも大変なことが起きている」と認識せざるを得ませんでした。

2011年03月14日 02:01   福島第一原発3号機爆発

Juno

福島第一原発3号機が爆発し、日本という国が違うものになってしまうことが確定的になりました。

枝野幸男官房長官は、この日朝の会見で、「メルトダウンの状況にはない。万一爆発が生じても、周辺の皆さんに影響を及ぼす状況は生じない」と述べていました。これが、仮に意図したウソでなかったとしても、安全を煽った責任をとるべきです。

火事で火の手がせまっているときは、まだ安全だと思っても「火事だ、逃げろ。」と言うべきです。放射性物質の拡散のときも同じことです。危険が予測される状況で、安全だと思われるような発言、誘導をするのは、非人道的な行為です。枝野に限らず、確たる証拠も出さずに安全を煽る人は、多くいました。放射能という目に見えないものに恐怖し、その危険性を伝えることに対して、「危険を煽る」として批難する人もいました。

MOX燃料を使用している3号機が爆発し、爆発の規模は、1号機のそれより、はるかに大きなものでした。爆発後の原子炉建屋の惨状を見ても、「大丈夫」というような言葉を発せられる状況にはありませんでした。あれだけの爆発が起きたのですから、「多大なダメージがあった」、「どんな予想外のことが起きていておかしくない」として行動すべきでした。そして、爆発により拡散した可能性のあるもの、それが向かう方向などについて、逐次情報を発信すべきでした。

人道的な見地で対策がされなかったことで、多くの人が余計な被曝をし、被害をうけています。そして、これは、今(2011年8月)も続いています。

2011年03月13日 07:04   輪番停電

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電力不足が予想されるため、3月14日(月)から輪番停電が実施されるという発表がありました。

このことが発表されたのは、日曜日も終わりに近付いてからでした。TVでは、原発の事故状況についての会見を打ち切って停電の告知がされました。その告知もいいかげんなもので、不正確な情報に振り回されることになりました。

東電のサイトで、修正された停電予定が公開されましたが、ある地域が複数のグループに属しているなど、修正後の情報にもあきらかな間違いがありました。修正された停電予定が公開されたあと、修正前の古い情報に基づいた停電予定を読み上げていたテレビ局もありました。

周知のための時間が不足している状況で停電を行うことについて、隠された意図を予測しました。それは、次のようなものです。

  • 原発の事故状況が悪く、停電というイベントを起こすことで視点をそらせたい。
  • 停電を起こし、交通を混乱させることで、市民の外出や移動を抑制したい。しかし、このリスクについては、直接的に発表したくない。
  • 停電により、市民がTVやインターネットから情報収集することを抑制したい。

これらは、今になって(このエントリーを書いているのは2011年8月です)思い付いたことではなく、いくつかは、家族や知人に伝えていたものです。

「輪番停電のときに、電車だけ動かすことはできない」としていたウソ、そもそも停電の必要があったのかすら怪しいことなど、不審な点がありました。仮に停電の必要があったとしても、緊急状態にある原発の状況について情報収集する手段を提供しないのは、ありえない対応でした。

このときの対応も含め、加害者である東京電力は、被害者に不誠実な対応をしてきました。東京電力を指導する立場にある保安院や政府の対応、チェック機能としてのマスコミの対応も酷いものでした。

2011年03月12日 16:00   信頼できる情報を求めて

Juno

パズルの集まりで海外の知人と会ったり、メールでのやりとりをすることがあります。そんなときに、伝えたいことが伝えられないもどかしさなどから、英語の能力をあげたいと思っていました。そんなこともあって数年前にスカパーに加入し、海外のドキュメンタリー番組、BBCやCNNなどのニュース、主音声が英語の映画などを見ていました。

原子炉建屋で爆発が起き、日本という国が危機的な状況にあるにも関わらず、日本のマスコミからは、必要な情報が得られません。チャンネルをBBCやCNNに変えると、事故が極めて深刻であることを伝える情報が流れています。ニュースサイトも同様で、日本のそれは東電や政府発表の後追い記事が大半。海外サイトでは、今後起こりうることを見越した予測、原子炉の構造の詳細情報などが出されていました。

原子力資料情報室(CNIC)のサイトにたどり着いたのもこの頃です。3月12日にUstreamで放送された原子力資料情報室の記者会見(長いので1:27:00のあたりから見ることをお勧めします)では、原子炉格納容器の設計者、後藤政志氏が「格納容器の内圧が設計条件の4.3気圧を超えたら安全を保証できない」という、至極当然のことを述べています。この頃、通常1気圧の格納容器内圧力が8気圧を超えたという情報が流れていました。にも関わらず、原子炉の専門家でもない御用学者が日本のTVに登場し、「設計の2倍ぐらいなら大丈夫です。壊れません」などと無責任な発言をしていました。

上記会見には、原子炉圧力容器の設計をしていた田中光彦氏も登場します。田中光彦氏は、NHKに登場する学者や解説員のウソ、放送で核心部分に触れられていないことなどを、分かりやすく説明してくれました。また、氏は、念のためなどと言わずに危機感をあおるべきだということも述べています。

ものを設計した人、つくるのに関わった人が、揃いも揃って緊急性を訴えています。なのに、彼らよりはるかに知識の劣る人が、なぜ「大丈夫」、「安全」、「安心」と言うのか。大丈夫という大本営発表を信じていたら殺される。信頼できる情報、今起きている事実を知るための情報を集めなければならないという思いを強くしました。

田中光彦氏の著書、「原発はなぜ危険か」も、原子力資料情報室の会見に目を通してすぐに注文しました。1990年に出版されたこの本で、原発の問題点が多数指摘されていました。ですが、世の中では、原発の「いい」とされる点のみが強調され、田中氏の著書で述べられているような問題点、危険性は、ほとんど黙殺されてきました。黙殺の大きな原動力として、利権があったはずです。日本を離れた私を利己的な人間だと思う人は、より強大な利己によって誘導されている可能性も考えてみてください。あなたにかけられる「大丈夫」と言う声が、本当にあなたのためを思ってのものかを考えてください。利権による危険性の黙殺、利権を守るための情報発信に、あなたの人生をゆだねてはいないでしょうか。

上記会見の後半、2:52:55のあたりで、只野弁護士が後藤政志氏の記者会見出演の経緯を説明しています。後藤氏の勇気に感謝するとともに、ほかにも彼のような人がいないか、本当に一般市民のことを考えて活動、情報発信している人がいないか探し求めました。

2011年03月12日 15:00   福島第一原発の事故以前

Juno

福島第一原発の事故後、すぐに「これは大変なことになった」と思ったのは、事故以前から原発のことを気にかけていたことが大きいです。

遡ること30年余り、1980年に、私の出身県の高知で窪川原発の開発が話題になっていました。当時は、ニュースや子供向けの本などで、「石油は、あと○○年で無くなる」、「地球の人口がこのまま増え続けたら大変なことになる」という情報が流れていました。そして、このことを私も、科学的な裏付けのある「事実」だと思い込んでいました。

小学生だった私は、同年代の従兄と、「どっか(自分達と関係のないところ)に地震でも起きて、地球の人口が半分になったらいいのに」という、不謹慎な話をしていました。また、原発を安全と言いながら、高知のような田舎につくろうとすることに不信感を覚え、「安全なら東京につくったらいいのに」みたいな話もしていました。安全だけど都会にはつくらないという原発に対する考え方のおかしさは、小学生でも分かることです。都会にはつくらない、イコール危険性があるという理解のまま大人になりました。

趣味や仕事でものづくりに関わり、「どんなものでも壊れる」、「設計が悪いとより簡単に壊れる」という前提で考えるようになったことも大きいです。20代に約5年半、競技用の自転車をつくる仕事に関わりました。競技など、極限状態での使用を前提としたものに必要以上の強度(重量増につながる)を持たせるのは、はじめから勝つことをあきらめているようなものです。当時の社長が「うちの(競技用)フレームは、今まで一度も(金属疲労で)壊れたことがない」という主旨の発言をしていました。そのことを聞いたときは、競技に適さない過剰強度(必要以上に重く競技に不利)になっているか、たまたま今までそうだったことを、これからも起こりえないと希望的予測を述べているだけで、科学的な思考の持ち主のすることではないと思いました。そして、社長の発言を聞いてから何ヶ月も経たないうちに、「フレームに(金属疲労による)ヒビが入った」というお客さんがやってきました。壊れないでほしいという希望は、しばしば簡単に裏切られます。壊れたあとで設計を改めることはできますが、そうしたところで、今後は壊れないなどという希望は、耐久性に寄与しません。壊れるかもしれないという前提で、できることを積み重ねてゆくしかありません。

20代前半に高知から東京に移り、そして、30代前半に神奈川に居を移してからは、浜岡原発の存在が気になりだしました。この頃には、原発の事故隠しの情報もあきらかになっていました。子供の頃に信じていた科学的予測(とされていたもの)の多くが外れ、TVや新聞、本やネットで目にする情報に対して、懐疑的な立場を忘れずに接するようになりました。

もともと心配性で、気になることは調べないと気がすまないたちなので、原発関連のサイトなどに多数目を通しました。有名どころでは、故、平井憲夫氏の原発がどんなものか知ってほしいストップ!浜岡原発などがあります。また、どのサイトだったかは失念しましたが、加圧水型原子炉の配管に起きる減肉、それに伴う事故についての情報に目を通し、なんと危険なものを動かしているのだろうと思いました。

浜岡原発が活断層の真上にあることを知り、当時住んでいた伊勢原(神奈川県)の家との距離を把握してからは、あそこがいったら住めなくなる、いついくかも分からないから、将来は大丈夫なところに移りたいというようなことを、妻と話していました。

そして、浜岡原発の心配をしているうちに、先に福島第一原発が壊れてしまいました。

2011年03月12日 09:00   知人からのメール

Juno

地震発生から1日ほど経ってから、「大丈夫か」と心配する海外の知人からのメールが届きだしました。最初にもらったメールへの返信で伝えたのは、妻と4匹の猫が無事であることぐらいでした。

3月13日になってからは、上記のこととあわせて、「福島原発の事故について心配していること」、「原子炉のひとつで、プルトニウムを混合したMOX燃料が使われており、危険性がより高いこと」などを伝えました。

3号機でMOX燃料が使われていること、通常の軽水炉よりプルトニウムの含有率が高いことも、日本の旧来のメディアでは、触れられませんでした。海外のメディアが当たり前のようにプルトニウムについて言及しているのに、国内では、そもそもプルトニウムが存在しないかのような報道がなされていました。

プルトニウムの存在がある程度知られるようになったのは、爆発から2週間ほど経ち、自由報道協会上杉隆氏が東電の記者会見で「プルトニウムが検出されてないのは本当か? どれくらいの期間、検出されていないのか?」と質問してからでした。しかも、そのときの東電側の回答は、「プルトニウムは検出されていないのではなくて、測っていない。測る計器も持っていない。」というものでした。

測っていないということもウソで、実際は、3月21、22日に測定依頼が出されていました。一事が万事この調子で、あとになってから「やっぱりこうでした」と悪い結果が知らされます。大本営発表を待っていたら殺されると思い、海外メディアや反原発の立場にある組織からの情報収集を強化しました。

2011年03月12日 06:45   原発の外でセシウム検出

Juno

原発の外にあってはいけないセシウムが、原発の外で検出されました。またしても、「閉じ込める」機能が損なわれていることを示す情報です。

この段階で、京都大学助教の今中哲二氏は、「水蒸気爆発が起きる可能性」、「最悪の事態」について言及しています。今中氏は、事故が起こる前から、「原発で大事故が起きると周辺の文化や地域が全てなくなる」ことを述べていました。原発の危険性を認識し、反原発の立場に立つようになった今中氏らの主張にもっと耳を傾けていたら、ここまで酷い状況にはならなかったかもしれません。

現実は、今中氏らが「悪い方に転ぶとこうなる」と予測したように進んでゆきました。水蒸気爆発こそ起きていないとされていますが、恐れていた最悪の事態、とてつもない被害が現実のものとなりました。

政府、事故の当事者、旧来のマスコミからは、「爆発的事象」、「格納容器は無事」、「レントゲン検査と比べてもたいしたことはない」、「念のため」のように、安心、安全を煽る情報発信がされました。仮に今、本当に大丈夫だとしても、ここから先悪い方に転んだときにどうなるかという疑問には、答えてくれませんでした。

2011年03月12日 06:36   福島第一原発1号機爆発

Juno

15:36頃、福島第一原発の1号機が爆発しました。

この爆発があったことに私が気付いたのは、17:00前後でした。私は、有事には2chのニュース系スレッドをチェックします。新聞やTVなど旧来のメディアは、インターネット、こと2chのようなところを低俗なものと見なしがちですが、情報のスピードという点で、旧来のメディアはインターネットのメディアにかないません。「何か変わったことが起きた」ということを知りたいときに、2chをチェックしていれば、すみやかに情報源にたどり着けます。玉石混淆の情報のなかで、どの情報に食いつくか、何を信じるかは、情報を受け取る人次第です。

2chの閲覧は、ブラウザのFirefoxにchaikaというアドオンを入れておくのがお勧めです。別ウィンドウで開く一部のページに対応していないAmazon Kindle(電子ブックリーダーですが、3G対応版は、世界中の広範囲で無料でインターネットにアクセスできます)では、ホームページの圧縮表示サービスを提供しているSkweezerを介したURLをブックマークして利用しています。

原発の話に戻ります。

TVで流される映像やニュースで、1号機の爆発が誰の目にもあきらかになってから、ますます「安全」、「安心」、「大丈夫」が強調されるようになってきたと感じました。TV出演した東工大教授の有富正憲が、「爆破弁を使って圧力を下げた」のような、思いつきのウソを言い立てたのもこのときです。

「福島第一原発1号機に爆破弁が用いられているかどうか」は、すぐに裏がとれる話でしょう。にも関わらず、分かっているはずのことが報道されません。分かっているのかいないのかをあいまいにしたまま、良い方向に転んだ場合の希望に基づく報道が繰り返されました。

原子炉建屋断面図

TVでの事故の解説で、しばしば、上記のような原子炉建屋の断面図が用いられました。上記画像で「SF」と書かれているところが使用済み燃料プールです。原子力発電所には、普通、使用済み燃料プールがあります。なのに、TVの解説に用いられた断面図では、使用済み燃料プールのあるべきところが、何もない空っぽの部屋のように描かれていました。TVの報道で、使用済み燃料プールの存在が禁句でなくなったのは、ずっとあとになってからでした。

建屋の上部が吹き飛んでおり、その建物の上部に使用済み燃料プールがあることは、確認をすればすぐに分かることです。取材でそのような確認すらしていないとしたら、報道機関としての役割を全く果たしてないということです。国内マスコミへの不信感はますます強くなり、海外メディアや、以前から反原発の立場にある組織、事実のみを淡々と流す組織からの情報を求めるようにしました。

2011年03月11日 21:51   1号機の中央制御室で通常時の約1000倍の放射線量検出

Juno

原子力安全・保安院から、福島第一原発1号機の中央制御室で、通常時の約1000倍の放射線量が検出されたという発表がありました。この時点で、原子炉に必要とされる「閉じ込める」機能が損なわれていることが確定しました。

ここでいう通常時の値がどのぐらいかは分かりませんが、仮に0.05μSv/hだとすると、その1000倍で50μSv/hです。1年間ここに居続けたときの線量は、438mSv。「100mSvまで浴びても大丈夫」だとしたら、2~3ヶ月は、中央制御室での作業を続けても大丈夫ということになります(※もちろん、線量が変化しない前提の話です)。

この頃から、マスコミで「安全」、「安心」、「大丈夫」を強調する御用学者が目立つようになってきました。「チェルノブイリとは違うから爆発はしない」という発言もありました。彼らの無責任な発言の結果、多くの人が余計な被曝をしました。これは、間接的な傷害です。根拠もなく「安全」、「安心」発言をしていた学者、政治家は、投獄されるべきでしょう。

1号機の原子炉建屋と中央制御室は、概ね、建物の角と角が接するような位置関係にあります。建物の壁面は、共有していません。中央制御室で通常時の約1000倍の放射線量なら、原子炉建屋の放射線量は、いかほどだったでしょう。このとき既に、原子炉建屋に近付くことすら困難な状況にあったのではないでしょうか。


関連情報: 「Mr100mSv」山下教授の解任を求める福島県民署名

2011年03月11日 14:10   福島第一原発冷却機能停止

Juno

2号機の原子炉冷却機能停止、非常用ディーゼル発電機も停止、原子炉冷却水の水位低下が報告され、周辺住民への緊急避難指示、屋内待機指示が出されました。

原発は、冷やせなくなったら終わりです。この頃は、なんとか冷却機能が復活してくれないかと願っていましたが、あとになって、はなから望み薄だったのだなと認識しました。

2011年03月11日 10:42   原子力緊急事態宣言

Juno

官邸の官房長官記者発表によると、福島第一原発の事故は、16:36には認識されていました。

実際に原子力緊急事態宣言の発令が発表されたのは19:42で、この頃既に、情報公開の遅れ、情報公開が不十分であることがはっきりしていました。

危険が予測される場合は、悪い方に転んだ場合を想定して動くべきです。事故が起こったのが16:36なら、その直後に「原発で事故が起きた」という事実だけでも公開すべきでしょう。適切な情報公開がなされていたら、事故への適切な対応能力を持った人が、もっと早く動けたはずです。その後の福島第一原発の成り行きを言い当てた人の多くが、いまだに(2011年7月になっても)情報公開が不十分であるとの声をあげています。

2011年03月11日 05:46   東北地方太平洋沖地震発生

Juno

東北地方太平洋沖地震が起きた時は、神奈川県伊勢原市の自宅で仕事をしていました。自宅も結構なゆれで、水槽の水が派手にこぼれ、自宅近辺の道路は、わずかながら陥没したところもありました。

余震が起きるたびに、飼い猫から「お前が地震を起こした犯人か」という目で見られるので、損な役回りだなと思ったものです。

最初のゆれを感じたあと、すぐにTVの電源を入れ、NHK第一放送を映しっぱなしにしました。しばらくしてからは、TV内蔵のHDDに録画するようにし、その後数時間録画し続けました。大きなことが起きたときには、記録を残しておかないと、後から追跡したり確認するのが困難になることがあります。後でいらないと思ったら消せばいいので、とりあえず保存しておこうという感じです。

地震発生からあまり経ってないときは、不謹慎ながら「今頃、復興需要を見込んでほくそ笑んでいる土建屋がいそうだな」といったことも考えていましたが、福島原発の事故を伝える一報が入ってからは、そんなタヌキの皮算用が吹き飛んでしまう「国難」に面することになったと思いました。

2011年03月10日 15:00   はじめに

Juno

2011年3月11日以降、世界が変わってしまいました。このblogをスタートした今は、あれから4ヶ月以上経っています。当時のことを振り返りながら書いてみます。

私は、自分が真実だと思っていることを書きます。それは、このblogを見ているあなたが真実だと思っていることと違うかもしれません。また、私のblogを見ることで不快になるかもしれません。

「真実はこうだよ」と、論理的に納得できる情報をいただけるのならありがたいのですが、ただ「不快だ」という場合は、私のblogを見るのをやめてください。このblogには私の感情も反映されますが、他者の感情論に、この場でつきあうつもりはないです。

私と妻は、日本を離れる決断をしました。そう決断するに至った経緯についても書きます。これから日本を離れようと思っている人達のヒントになれば幸いです。

このblogには、広告が表示されます。私が取得したビザで許可されている労働は、週20時間が上限です。20時間フルに働いても出費のほうが上回るので、少しでも生活の足しになるよう、広告を表示するようにしました。

記事の末尾です

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