2013年03月15日 05:07 福島第一原子力発電所事故における放射性物質の大気中への放出
Juno
東京電力が公開している「福島第一原子力発電所事故における放射性物質の大気中への放出量の推定について(PDF)」という資料(以下東電資料)がある。放射性物質が、いつどれぐらい放出されたか、チェルノブイリ原発事故と比べてどれぐらいのインパクトがあったのか、とても気になっているので、この東電資料を検証し、Microsoft Excelシートにまとめた。
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福島第一原子力発電所事故における放射性物質の大気中への放出の検証(43.2MB)
検証の結果、私が「こうかな。こうじゃないかな?」と思ったことを列記する。
- 旧保安院の資料では、放出の大半(約9割)が2号機由来とされていた。東電資料で、1~3号機のI-131、Cs-134、Cs-137の放出量をINESの資料に基づいてヨウ素換算すると、1号機が16.5%、2号機が45.8%、3号機が37.6%となる。
- ベント弁の閉が確認された時間は、記録されているが、実際にベント弁が閉じたのがいつかは、不明。
- 東電は、ベントによる放射性物質の放出が少なかった根拠として、S/Cベントで水をくぐらせたことを上げている。しかし、大量の放射性物質に対する除去効果は、分からないという指摘もあり、ベントによる放出が少なかったどうかは、疑わしい。
- 3月13日 20:00以降、4月8日 18:30頃までの間、3号機では、常にベント弁を開状態に保つべく手配がされた。手配通りベント弁が開いていたとしたら、D/W(ドライウェル)と建屋外は、ツウツウに近い状態だったことになる。
- 3月14日 11:01の3号機の爆発により、3号機から排気筒に繋がる配管が破損した。これ以降、3号機でベントを行うたびに、配管の外れたところ(もしくはそれより上流)から、放射性物質が放出された。
- 1、2号機は、ベント弁が開状態にあった期間が短く、3月15日 00:00頃以降は、常に閉状態にあった。
- 3月15日 06:14の4号機爆発は、3号機から排気筒に繋がる配管が破損してから19時間あまり経っており、3号機で発生した水素が、3、4号機の共用排気筒に繋がる配管から4号機に逆流したとする説は、納得しがたい。
- 3月15日の放出が最も甚大な被害を及ぼした。放出があったときと放出後の風向き、降雨により、地表に放射性物質が定着した。
- 3月16日に最大の放出があった。北風に乗った放射性物質が、約12km南の福島第二原発、約43km南の、いわき市で線量のピークをつくった。幸い風向きが変わり海に向かう風となったため、3月16日の放出による被害は、比較的軽微にとどまった。
- 東電資料では、3月18日、3月19日、3月28日にも、それぞれ、全放出量の5%以上の放出があったとされている。3月18日の放出は、陸へ。3月19日、3月28日の放出は、海に向かった。
- 大放出は、D/Wの圧力低下と関連性が深い。が、東電資料で大放出があったとされている時の原子炉、D/W圧力データが欠落しているものが多く、判断に迷う。
- 3月15日の前半に2号機、3月15日の後半から3月17日未明頃にかけて3号機の原子炉、D/W圧力が減少している。この間は、(流量の増減を伴ったであろうが)放出が続いていた。
東電資料には、判断、判定を間違っているのではないかと思われる点が散見される。3月16日の最大の放出とされているものは、08:30の白煙確認とD/Wの圧力低下を、3号機由来である根拠としている。が、放出期間は、10:00~13:00とされており、白煙確認時刻、D/Wの圧力が急減した時刻より放出開始時刻が後になっている。また、ふくいちライブカメラに写った1、2号機の共用排気筒からの蒸気を、3、4号機の共用排気筒と見間違えていると思われる記述もある(3月13日 09:00~09:10の放出)。東電の検証結果は、旧保安院の試算(放出の大半を2号機由来としている)よりは、妥当性が高いと思うが、まだ分からないこと、はっきりしないことが山ほどある。
東電資料によると、I-131の放出が500PBq、Cs-134とCs-137の放出がそれぞれ10PBq。Cs-137の沈着量の評価についての記述を見ると、原発周辺の50km四方で、沈着量の半分弱が海に落ちたものとしている。東電の放出量の試算値を2で割ると、早川由起夫氏の算出値とほぼ同じになる。福島第一原子力発電所事故による地表の汚染は、チェルノブイリの1/10前後と見て、よさそうに思える。
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