福島原発事故後、日本で暮らすことを諦めオーストラリアに移住しました。原発事故のこと、オーストラリアの生活、学生ビザ取得とTAFE入学の流れ、趣味のことなどについて書いてみます。
元データは、気象庁の「過去の気象データ・ダウンロード」ページで、条件を指定してダウンロードしたものです。集計対象の地点(住所)は、東京都東京です。
集計結果に目を通して、昔から結構暑かったんだなという印象を持ちました。1980年、1988年のような気温になればいいのですが、保守的に見て、最高気温は30度を超え、最低気温は、せいぜい24度ぐらいまでしか下がらないと思っておいたほうがよさそうです。
大きな事故や災害の後で、よく予想外という言葉を耳にするのですが、予想をし、警鐘を鳴らした人の意見が無視された結果であることが多々あるように思います。私は、今日、この段階で、「開催日を大幅にずらすなど、抜本的な見直しをしないと、たくさんの人が生命の危険にさらされる」と予想します。
]]>祭りを把握した夜8時頃、センサスのサイト、census.abs.gov.auへの接続確認をしました。Windows機でコマンドプロンプトを起動し、tracert census.abs.gov.auとコマンド入力してEnterキーを押すと、自宅からセンサスのサイトへの接続経路を表示してくれます。
c-20198-6159-VAIES-218-908.cust.nxg.net.au [150.207.149.254]というホスト以降、「要求がタイムアウトしました。」となって、接続に失敗しています。
センサスのサイトは、IBMオーストラリアに委託されています。サーバのIPアドレスは、Nextgen Groupというグループ会社の所有です。上記画像で接続失敗の直前に経由したホスト、nxg.net.auも、この会社のものです。Nextgen Groupは、結構大きい会社なのに、お問い合わせフォームの記入内容を暗号化せずに送ってしまう、牧歌的なオーストラリアのたたずまいを残しています。
センサスのサーバのIPアドレスが150.207.169.5なので、Pingコマンドを打って、簡単な接続確認もしてみます。
ここでも「要求がタイムアウトしました。」となるのでダメですね。センサスのサイトに問い合わせた中には、ブラウザを変えてみろとか、最新バージョンのブラウザを使えと進められた人もいるようですが、WEBサーバに接続できないのですから、何をやってもダメです。
夜9時か10時頃に、再度、Tracertでセンサスのサイトへの接続経路を確認しました。
「要求がタイムアウトしました。」となるのは、同じですが、接続経路が変わっています。センサスの中の人がもがいているようです。
なんか、tengigabitethernet7-1.chw50.sydney.telstra.net [203.50.20.193]という、めっちゃ早そうなホストを経由しています。「やべえ、思ったよりいっぱいアクセスが来ちゃったよ。」みたいな声が聞こえてきそうです。
さらに、ibm1809237.lnk.telstra.net [139.130.72.186]というホストも出てきて、いよいよIBMが腰を上げたかという感じです。
センサスのサーバのIPアドレスも、150.207.169.5から150.207.169.8に変わりました。
夜11時頃、ついにセンサスオーストラリアが敗北宣言しました。ちょっと前まで、「15分ぐらいしたらまたアクセスしてね。」みたいな表示をしていたのですが。
さて。翌朝、今朝になってTVでABC24のニュースをつけたら、「センサスのサイトがハッカーにアタックされた」というテロップが流れています。困った時のスーパーハッカーがついに登場しました。何かトラブルがあったら、とりあえずハッカーのせいにしておけば、本当の原因をつくった人が免責される可能性が高くなります。
朝になっても、まだセンサスのサイトにはアクセスできないようで、文句を言っている人がいっぱいいます。朝7時半頃、再度、Tracertで接続経路を確認してみました。
前回の結果とほぼ同じですが、センサスのサーバのIPアドレスは、150.207.169.5に戻っていました。一時的にホストの接続先を切り替えて、その間にごにょごにょやっていたのでしょうか。まあ、接続できないことに変わりはないです。
オーストラリアのことですから、十中八九、予定より復旧に時間がかかるでしょう。まあ、「非公式」としながらも、9月23日がセンサス提出の締め切りなので、それまでには直って.....
直るかなあ。
]]>3月15日にベントによる放射性物質の大放出があった。ベントに伴い、D/W(ドライウェル)の圧力が低下したという話を耳にする。果たしてそうだろうか。
下記は、東電が公開してるD/Wの圧力データをグラフにしたもの。グラフ作成に使用したExcelファイルをアップロードした。
対象期間が長いと分かりにくいので、3月14日 00:00~3月16日24:00のデータのみを指定してグラフを作成した。
3月15日にD/W圧力が大きく変化しているのは、2号機。06:25に0.73MPaだったD/W圧力が11:20に0.155MPaまで低下している。が、この間のデータは、1~3号機ともに欠落しており、いつD/Wの圧力が低下し始めたのかは、分からない。データが欠落している期間に、値の乱高下があったことも考えられる。
次に、ベントとの関連を見てみる。下記の画像は、東電が公開している「福島第一原子力発電所事故における放射性物質の大気中への放出量の推定について」という資料の別紙2-8、別表1、「ベント実績について」を切り出したもの。
この資料によると、2号機は、日付が3月15日に変わって少し経ったあとは、ベントが行われていなかったことが分かる。
3月15日未明以降もベントが行われていたのは、3号機だけだった。3月15日の大放出がベントによるものだとすると、それは、3号機由来ということになる。が、3月15日の3号機のD/W圧力は、16:00までほぼ安定していた(※データ欠落期間に変化した可能性は、残る)。ベントによる大放出があり、それに伴いD/W圧力低下があったとするには、それを裏付ける材料が不足している。
以前、ベントは、圧力を逃がしたら、せいぜい1時間ぐらいで弁を閉めるのかと思っていたが、どうやらそうではないようだ。3号機のベント実績を見ると、3月13日から少なくとも1週間は、常にベント弁を開状態に保つべく手配がされたように見える。
3号機のベントは、いずれもS/Cベントで、小弁、大弁のいずれを経由する場合も、AO(空気作動)弁を通すことになる。AO弁は、開状態を保つために、空気圧をかけ続ける必要がある。空気圧がかけられなくなったら弁が閉じる。東電資料の「ベント実績について」から、弁が閉まっていることを確認した時間は、分かるが、実際に弁がいつ閉まったのかは、分からない。3号機は、弁が閉まっていることを確認したあと、何度も何度も、弁を開いてベントを継続しようとしたようだ。
3号機は、3月13日から1週間は、(変動はあるものの)常に放射性物質が放出され、時には神風、時には悪魔の風が吹いたのだと考えている。
]]>東京電力が公開している「福島第一原子力発電所事故における放射性物質の大気中への放出量の推定について(PDF)」という資料(以下東電資料)がある。放射性物質が、いつどれぐらい放出されたか、チェルノブイリ原発事故と比べてどれぐらいのインパクトがあったのか、とても気になっているので、この東電資料を検証し、Microsoft Excelシートにまとめた。
↓
福島第一原子力発電所事故における放射性物質の大気中への放出の検証(43.2MB)
検証の結果、私が「こうかな。こうじゃないかな?」と思ったことを列記する。
東電資料には、判断、判定を間違っているのではないかと思われる点が散見される。3月16日の最大の放出とされているものは、08:30の白煙確認とD/Wの圧力低下を、3号機由来である根拠としている。が、放出期間は、10:00~13:00とされており、白煙確認時刻、D/Wの圧力が急減した時刻より放出開始時刻が後になっている。また、ふくいちライブカメラに写った1、2号機の共用排気筒からの蒸気を、3、4号機の共用排気筒と見間違えていると思われる記述もある(3月13日 09:00~09:10の放出)。東電の検証結果は、旧保安院の試算(放出の大半を2号機由来としている)よりは、妥当性が高いと思うが、まだ分からないこと、はっきりしないことが山ほどある。
東電資料によると、I-131の放出が500PBq、Cs-134とCs-137の放出がそれぞれ10PBq。Cs-137の沈着量の評価についての記述を見ると、原発周辺の50km四方で、沈着量の半分弱が海に落ちたものとしている。東電の放出量の試算値を2で割ると、早川由起夫氏の算出値とほぼ同じになる。福島第一原子力発電所事故による地表の汚染は、チェルノブイリの1/10前後と見て、よさそうに思える。
]]>2013年2月22日(猫の日)付で、TAFEの大工コースを修了し、Certificate IIIを取得した。申込、入学時に知らされていた期間は、2013年6月末まで。その後、2012年後半になって、「クラスの進捗状況がいいから、修了を早めることを、学校が検討している」とアナウンスされた。2012年暮れのSchool Holiday直前に、「2013年3月末までに、クラスの全員が修了する前提で進行する」ことが決定した。
TAFEの大工コースの学習形態には、つぎのようなものがある。
上記の4項目のうち、4は、2012年の7月に終わらせた。1も、2012年の10月頃には、終わらせていた。授業は、朝7:30からスタートするものの、生徒の集まりが悪いあいだは、先生を交えた(授業と関係ない)雑談となることが多い。高い授業料を雑談に費やすのは、ばかばかしいので、ほかの生徒がおしゃべりをしているあいだに、黙々と課題をこなしていた。
2012年暮れからスタートするSchool Holidayの少し前に、私と友達の課題が紛失する事件が起きた。前記2の紙ベースの課題で、この課題をこなすのは、かなり時間がかかる。進行が遅れている生徒は、ほかの生徒の課題を「ちょっと見せて」となることが多い。過去には、カンニング(ほかの生徒の課題を丸写し)が発覚して、先生からの警告が発せられていた。
紛失した友達の課題は、別の日に見つかった。誰かが友達の私物のバッグから抜き取り、あとで元に戻したようだった。私の課題は、教室内のキャビネット(鍵は、かからない)に保管されている専用のフォルダから抜き取られていた。結局見つからなかったので、同じ課題をやり直すのに、2時間ぐらい費やした。友達、私ともに、ほかの生徒が終わらせていない課題を、先に終わらせていた。なぜ被害の対象となったかは、容易に想像できた。カンニングの情報源としては、うってつけだった。
この事件があってから、「早く卒業して学校を離れたい」という思いが強くなった。本来、教室内に保管することになっていた自分の課題も、毎日持ち帰るようにした。持ち帰ることをとがめられたら、学内のセキュリティが不十分であり、自己防衛上そうせざるをえないことを主張するつもりでいた。
School Holiday中、自宅で、2の紙ベースの課題を全て終わらせ、残るは、3の実技だけとしていた。結局、最後の学期が始まってから学校へ行ったのは、6日間だけ。そのうち2日は、仲のいいクラスメートのサポート(実技は、1人だと困難なものがある)と、先生のヘルプに行っただけなので、自分の課題を終わらせるのにかかったのは、4日だけだった。
今は、Certificate取得後の、つぎのステップに向けて動いている。去年の後半から準備を進めてきた。
2011年の5月に、TAFEに入学申込をしたあとのことも、書いておく。
2011年7月スタートのコースに参加できるかどうかは、学生ビザが下りるかどうか、入学に必要な英語のスコアを取れるかどうかにかかっていた。
学生ビザは、英語のテストの結果が出る前におりた。TAFEから移民局に「この入学希望者は、現在英語のテストを受けている最中である」という連絡が行き、それを受けてビザ発行となった。
ビザがおりて数時間後に航空券の手配をした。英語のスコアがだめでも、とにかく渡豪し、7月のTAFE入学が不可なら、英語の学校に通うつもりでいた。
英語のテスト、IELTSの結果が出たのが6月24日。幸い、必要スコアをクリアしていた。7月1日に日本を離れることになっていたので、1週間ほどしか残されていなかった。TAFEに、英語のテスト結果を急いで連絡し、IELTSの結果(証明書)は、TAFE宛てに送られたことを伝えた。日本を離れる3日前に、「(TAFEの)オリエンテーションでお会いしましょう」の返信をもらった。
TAFEなど、オーストラリアの学校に入学するために英語のテストをうけるというと、IELTSじゃないとだめと思っている人もいるかもしれない。実際は、入学案内をちゃんと読むと、IELTSの場合は、スコア○○以上、TOEFLの場合は、スコア○○以上、ISLPRの場合は、スコア○○以上のように書かれていたりする。IELTSは、試験実施の頻度も低く、試験を受けられる場所も限られるので、頻度、場所ともに選択肢の多いTOEFLを受けるのも手だと思う。
私が通ったTAFEの入学案内に書かれている、TOEFLについての要件は、つぎのようになっている。
Test Of English as a Foreign Language (TOEFL) - score of 530 (paper-based) or 197 (computer-based)
が、今現在、TOEFLのPBT(paper-based)、CBT(computer-based)のテストをやっているところは、ほとんどない。iBT(Internet-based)が主流で、スコア(満点)も全然違うので、「入学するのに何点とればいいか」が分からない場合は、直接、入学を希望している学校に問い合わせてみるといい。
TOEFLを主催しているETSのサイトに、各テストのスコア換算表(PDF)があるが、直接、学校から「iBTなら○○点以上」と聞くほうが確実だ。
]]>国立情報学研究所により可視化された、福島第一原発周辺の風向・風速マップデータを結合して動画にした。
気象モデルによるシミュレーションの結果であり、観測値そのものではないことに注意。詳しい情報は、東日本大震災アーカイブ - 国立情報学研究所を参照。
MPG形式動画。640 x 640 pixel。下記リンクよりダウンロードした動画をプレーヤーで再生し、適宜一時再生すると、より分かりやすいでしょう。
日本脱出の方便として、TAFE(オーストラリアの職業訓練校のようなところ)への入学と学生ビザ取得を目指すことにしました。
TAFE入学関連のことを、ビザサポートをうたうサイトやTAFEのサイトで調べたものの、分からないことも出てきました。私が狙いを定めたのはQLD州のTAFEで、7月スタートの大工(Carpentry)のコースに通うものです。ですが、今から入学申込をして間に合うのか、具体的にどのように手続きが進むのか、はっきりしません。分からないなら聞いてしまえということで、入学希望のTAFEに問い合わせのメールを出し、以下のようなことを伝えました。
オーストラリア時間のことは耳にしていたので、返事を数日は待つことになるかと思いましたが、翌日には返信メールが届きました。件のコースは今現在3席が空いており、入学を希望する場合できるだけ早く手続きするようにとのことでした。
善は急げということで手続きを進めます。TAFEから送られてきた入学申込のフォーム(PDF)に記入し、パスポートのスキャン画像など、現時点で提出可能なものをメールに添付して送信します。同時に、すぐには提出できないものがあることを伝えました。最終学歴の証明(Academic history)は、ゴールデンウィークが開けるのを待って母校に依頼しないといけません。IELTSのテストは6月に受験予定で、結果を提出できるようになるのは、6月末見込みであることを伝えました。
翌日またTAFEからの返信があり、「キャンパスでお会いできるのを心待ちにしています」という挨拶文とともに、手続きの進行に必要な情報、ドキュメントが送られてきました。
相変わらず、すぐには提出できないものが残っていますが、用意できたものから提出しました。その都度、「今は待ちなので、これとこれは提出できない」ということを伝えるようにしました。
1学期分の学費と保険の代金は支払いましたが、お金を払ったあとで、ビザが下りない、IELTSのスコアが足りないということに困ります。これについても事前に確認をし、「7月スタートのコースに参加できない場合は、翌年2月スタートのコースに参加できる」という旨の返信をもらいました。ことがうまく運べば2011年7月からTAFE通学がスタートしますが、どこかで失敗したら2012年2月スタートになります。ビザが下りさえすれば事前に渡豪できるにしても、7ヶ月もスタートが先になるのは、なんとしても避けたいです。これは、かなりのプレッシャーになりました。
]]>ベクレル(Bq)からシーベルト(Sv)への換算を行うためのExcelシート (Ver. 2003形式)です。ダウンロードしてお使いください。
A列にベクレル数を入力すると、シーベルトに換算された値が得られます。ICRPとECRR2010それぞれの実行線量係数を用いて、主要な核種ごとの値が分かるようにしています。
このExcelシートは、自分自身の理解のために作成しました。誤記入や理解不足による計算ミスなどがあるかもしれません。
福島第一原発の事故後、どのぐらいなら大丈夫そうかを知りたいと思い情報収集しましたが、さまざまな値、単位が使われていることもあり、比較、検証が困難でした。また、同じベクレル数でも、団体や研究者によって扱いが異なることから、危険性を過小評価していない値を知りたいと思いました。そんな思いで作成したものです。素人のやっていることですので、正確な情報を知りたい場合は、しかるべきところにアクセスするなどして、情報収集することをお勧めします。
]]>英語が第一言語の先進国のなかで、どこが移住先として適当か。長期のビザや永住権の取得が容易か。色々と調べた結果、最も壁が低いのがニュージーランド、その次がオーストラリア、大きな差があってカナダ、イギリス、アメリカのような順ではないかと判断しました。
例えば、アメリカで就労ビザを取得する場合、一度ビザを取得したあとで職種を変更するとビザの資格を喪失することがあるようです。投資ビザの場合も調べてみましたが、ニュージーランド、オーストラリアとほかの3国では、必要とされる投資金額に大きな差があります。どの国が移民に対して大きく門戸を開いているかが分かってきました。
ニュージーランドは、色々な面でオーストラリアの影響を受けています。制度もオーストラリアと同様のものを取り入れており、職業訓練を経て就労ビザや永住権の取得に繋げる道があることが分かってきました。
移住先の第一候補をニュージーランドではなく、オーストラリアにしたのは、つぎのような理由からでした。
オーストラリアに目標をしぼったあと、豪在住の知人にメールを出しました。知人には以前にも日本で住むことをあきらめたことを伝えており、そのときに、「オーストラリアに避難するのなら、うちに泊まって再スタートの準備をすればいい」と申し出てくれていました。この知人の協力をえられたことがとても大きく、彼らの協力がなければ、移住の際の苦労がはるかに大きくなっていたはずです。今でも彼らに助けられることが多く、感謝しきれないぐらいです。
知人には、TAFEに通い、そこから就労ビザや永住権取得に繋げたいという意向も伝えました。当初、生活コストを低く上げられそうなNSW州のTAFEに通うことを考えていましたが、とても協力的な知人宅に近いほうがなにかと心強いと思いなおし、QLD州のTAFEへの入学を目指すことにしました。
]]>ビザや永住権を取得する際、多くの場合、客観的な英語力の証明が必要になることが分かりました。英語力をはかるテストを受け、ビザや永住権取得の要件を満たす点数を取らないといけません。
まだ、どの国に行けるか分かりません。ですが、どう転んでもかまわないように、平行して準備、対策を進めなければならないと意識しました。
調べてゆくうちに、英語圏の多くの国で、IELTSを英語力の判定に用いていることが分かってきました。私は、これまでに、この種の英語のテストをうけたことがありません。TOEICやTOEFLというテストがあることぐらいは知っていましたが、「所詮テスト、テストを受けたからと言って、個々人の本当の能力が分かるわけではない」と思い、積極的に受けようとは思いませんでした。
ネットで調べると、「TOEICで○点ならIELTSで△点相当」のような情報が見つかりますが、TOEICやTOEFLすら受けたことがないので、自分の英語力がどのぐらいか、さっぱり検討がつきません。ただ、兄が受けたことがあり、ある程度なじみのある英検との点数比較を見て、結構要求レベルが高そうだなあという印象がありました。
とは言っても、ビザ取得に英語のテストが必須なら、受けてみないことには話が始まりません。思いたったが吉日、すぐにテストの申し込みをしました。直近だと既に申し込みが締め切られているテストが多く、テスト日は6月11日に決まりました。
テストの申し込みと同時に、英語対策を進めます。高知のような田舎では、本屋で欲しい本を見つけるのは困難です。最寄りの書店の英語学習コーナーにあるのはTOEICの本が大半で、TOEFLの本は数冊あるかないかというぐらいです。IELTSの本など望むべくもありません。それでも、「やらないよりはまし」と思い、少しでも使えそうな本を購入します。
IELTSの本は、結局Amazonで購入しました。この頃は毎日のようにAmazonから荷物が届いていて、運送屋さんは「毎度!」のノリでやってきていました。
IELTS対策は、解説が日本語で書かれている本の中では、「IELTS実践トレーニング」がベストだと思います。IELTSは、テストがどのような流れで進むのか把握していないと、実力を発揮できずに終わってしまいます。テストの流れ、要求される回答スピードと集中力などをつかんでおくことが重要です。テストの費用も高いので、ぶっつけ本番にならないよう、模擬テストがついている本で練習して対策を立てておくことをお勧めします。
]]>