2011年03月19日 15:00   高知への引っ越し準備

Juno

海外移住の第一段階として高知に移住することとなったので、そのための準備を進めました。

あいにくの引越シーズンと重なり、引越業者、移動日ともに自由には選べませんでした。引越シーズンが終わるのを待ち、予定を先延ばしにしていると、それまでに致命的な事態を迎えてしまうかもしれません。ぎりぎりの準備期間を残し、移動日は3月25日(金)に確定しました。引っ越しの積み込みは、その前日です。

引っ越し先の従兄の家には、誰も住んでいません。ですが、従兄と従兄の姉弟の所有物などが残ったままになっており、引越後に自由に使えるスペースは、かなり狭くなってしまうことが予想されました。

また、最終目的が海外移住であることを考えると、日本から持ち出せない、持ち出すのが困難、移住先で再度購入するほうが好ましいものは、この段階で処分するのが妥当だと考えました。火事のときに、すぐに手に取れるものをつかんで逃げるぐらいの覚悟で、泣きながら多くのものを処分しました。

8年半ほど暮らした家ですから、家の中は、使い慣れたもの、安心感を与えてくれるもので満ちています。自宅にあわせて設計、自作したキャットタワーや猫棚(猫が窓の外を見るための棚)、9割方完成していた猫のケージ、妻が毎日のように演奏の練習をしていた電子ピアノもあきらめました。

4匹の猫は、同じ飛行機で高知に飛べることが確定していましたが、60cmの水槽で飼っていた熱帯魚は、引越業者の取り扱い対象外でした。引き取り手も探しましたが、なかなか見つからず困っていたところ、知人が飼ってくれると申し出てくれました。とても感謝しています。

引っ越しの日が確定してから、多くの人が家を訪れました。廃棄を覚悟していたキャットタワーなど、一部のものは、知人に引き取ってもらったことで、ずいぶん精神的に救われました。

自宅を訪れたなかで、引っ越しの理由として、「放射能汚染から逃げるため」ということを伝えられた人と、そうでなかった人がいます。なぜ避難するのか、避難に値するほどの危険性があると認識しているのか、そのことを全ての人に伝える時間は、ありませんでした。

このエントリーを書いている2011年8月現在、日本が、汚染された土壌と水、食料への徹底的な対策をとる方向にシフトすれば、まだ、安全性の担保された暮らしを続けられるかもしれません。今、このときまでもそうなるよう願ってきましたが、汚染食品が47都道府県にもれなく出回るなど、事故そのものの酷さ以上に、対応の酷さが目につく結果となっています。

3月に高知に引っ越したときは、日本が貧乏な国になっても、高知では安全な暮らしができるのではないかと期待していました。この期待が揺らいでいることが悲しいです。

コメント (0)
コメントがないよ

コメントを投稿する

投稿者 :::

コメント(100字まで、タグは使用できません) :::  

URL or メールアドレス ::: URL、メールアドレスについて

Twitter

Twilog

ログイン