2011年03月18日 12:00   海外移住の第一段階として高知へ向かう準備を

Juno

海外移住と言っても、すぐに飛べるわけではありません。猫もいます。となると、まずは、できるだけ安全な場所に身を置かないといけません。福島原発からの距離を考えると、関東に居続けた場合、今後の状況いかんによっては、甚大な健康被害を被ると考えました。

私の出身地の高知には、両親、兄弟、多くの親戚が住んでいます。その中で、以前、従兄が住んでいた家が、空き家状態になっていることを覚えていました。

従兄に電話をし、つぎのようなことを伝えました。

  • 原発の事故によって、日本の広範囲が住むのに適さない場所になってしまうこと。
  • 原発事故の状況は、極めて厳しいこと。日本のマスコミでは安全、安心が強調されているが、海外の見方は、全くことなること。
  • 原子炉の冷却が不可能であり、放射性物質の漏出を止められないこと。
  • 被害は関東にもおよぶ可能性が高く、仮に直接的な被害が無かったとしても、日本の経済状況などが変わることで、事故以前の常識を前提とした将来が期待できなくなること。
  • 可能な限り早く避難したいので、空き家になっている家を貸してほしいこと。

従兄は、二つ返事で了解してくれました。高校の先生をしているその従兄には、「修学旅行で関東に来る予定がある場合は、行き先を変更したほうがいい」ということも伝えました。このことは、従兄から従兄の学校にも伝わり、そのことが直接的な原因ではないようですが(あとで父兄からの意見もあったようです)、従兄の高校の修学旅行は、関東には寄らないコースに変更されました。

仮住まいが決まったあとは、実家に連絡をし、日本での生活を諦め、最終的には海外移住する意向を伝えました。両親からは、「そうかね」という反応が返ってきました。これは、私が自分で決めたことを、他者の意見で変えないことを知って(言うのを諦めて)のことと思います。

下の兄にも連絡をし、神奈川から高知への移動形態によっては、岡山のあたりまで迎えにきてもらいたいことなどを伝えました。このときは、まだ移動日も移動方法も確定しておらず、空路、鉄道、車のどれを使うかなど、決めないといけないことがたくさんありました。

このとき、上の兄は入院していました。1月に事故を起こし、生死の境をさまよい、やっと命に別状がないと言えるところまで回復してきたところでした。これまでの人生でなにかと私のことを助けてくれ、応援してくれていた兄のことも、自身の人生を考え直すきっかけになっていました。人生で大きな決断をせまられたとき、大事なことは自分で決め、決めた道に向かって進まなければと言い聞かせていました。

コメント (0)
コメントがないよ

コメントを投稿する

投稿者 :::

コメント(100字まで、タグは使用できません) :::  

URL or メールアドレス ::: URL、メールアドレスについて

Twitter

Twilog

ログイン