2011年03月13日 07:04   輪番停電

Juno

電力不足が予想されるため、3月14日(月)から輪番停電が実施されるという発表がありました。

このことが発表されたのは、日曜日も終わりに近付いてからでした。TVでは、原発の事故状況についての会見を打ち切って停電の告知がされました。その告知もいいかげんなもので、不正確な情報に振り回されることになりました。

東電のサイトで、修正された停電予定が公開されましたが、ある地域が複数のグループに属しているなど、修正後の情報にもあきらかな間違いがありました。修正された停電予定が公開されたあと、修正前の古い情報に基づいた停電予定を読み上げていたテレビ局もありました。

周知のための時間が不足している状況で停電を行うことについて、隠された意図を予測しました。それは、次のようなものです。

  • 原発の事故状況が悪く、停電というイベントを起こすことで視点をそらせたい。
  • 停電を起こし、交通を混乱させることで、市民の外出や移動を抑制したい。しかし、このリスクについては、直接的に発表したくない。
  • 停電により、市民がTVやインターネットから情報収集することを抑制したい。

これらは、今になって(このエントリーを書いているのは2011年8月です)思い付いたことではなく、いくつかは、家族や知人に伝えていたものです。

「輪番停電のときに、電車だけ動かすことはできない」としていたウソ、そもそも停電の必要があったのかすら怪しいことなど、不審な点がありました。仮に停電の必要があったとしても、緊急状態にある原発の状況について情報収集する手段を提供しないのは、ありえない対応でした。

このときの対応も含め、加害者である東京電力は、被害者に不誠実な対応をしてきました。東京電力を指導する立場にある保安院や政府の対応、チェック機能としてのマスコミの対応も酷いものでした。

2011年03月12日 16:00   信頼できる情報を求めて

Juno

パズルの集まりで海外の知人と会ったり、メールでのやりとりをすることがあります。そんなときに、伝えたいことが伝えられないもどかしさなどから、英語の能力をあげたいと思っていました。そんなこともあって数年前にスカパーに加入し、海外のドキュメンタリー番組、BBCやCNNなどのニュース、主音声が英語の映画などを見ていました。

原子炉建屋で爆発が起き、日本という国が危機的な状況にあるにも関わらず、日本のマスコミからは、必要な情報が得られません。チャンネルをBBCやCNNに変えると、事故が極めて深刻であることを伝える情報が流れています。ニュースサイトも同様で、日本のそれは東電や政府発表の後追い記事が大半。海外サイトでは、今後起こりうることを見越した予測、原子炉の構造の詳細情報などが出されていました。

原子力資料情報室(CNIC)のサイトにたどり着いたのもこの頃です。3月12日にUstreamで放送された原子力資料情報室の記者会見(長いので1:27:00のあたりから見ることをお勧めします)では、原子炉格納容器の設計者、後藤政志氏が「格納容器の内圧が設計条件の4.3気圧を超えたら安全を保証できない」という、至極当然のことを述べています。この頃、通常1気圧の格納容器内圧力が8気圧を超えたという情報が流れていました。にも関わらず、原子炉の専門家でもない御用学者が日本のTVに登場し、「設計の2倍ぐらいなら大丈夫です。壊れません」などと無責任な発言をしていました。

上記会見には、原子炉圧力容器の設計をしていた田中光彦氏も登場します。田中光彦氏は、NHKに登場する学者や解説員のウソ、放送で核心部分に触れられていないことなどを、分かりやすく説明してくれました。また、氏は、念のためなどと言わずに危機感をあおるべきだということも述べています。

ものを設計した人、つくるのに関わった人が、揃いも揃って緊急性を訴えています。なのに、彼らよりはるかに知識の劣る人が、なぜ「大丈夫」、「安全」、「安心」と言うのか。大丈夫という大本営発表を信じていたら殺される。信頼できる情報、今起きている事実を知るための情報を集めなければならないという思いを強くしました。

田中光彦氏の著書、「原発はなぜ危険か」も、原子力資料情報室の会見に目を通してすぐに注文しました。1990年に出版されたこの本で、原発の問題点が多数指摘されていました。ですが、世の中では、原発の「いい」とされる点のみが強調され、田中氏の著書で述べられているような問題点、危険性は、ほとんど黙殺されてきました。黙殺の大きな原動力として、利権があったはずです。日本を離れた私を利己的な人間だと思う人は、より強大な利己によって誘導されている可能性も考えてみてください。あなたにかけられる「大丈夫」と言う声が、本当にあなたのためを思ってのものかを考えてください。利権による危険性の黙殺、利権を守るための情報発信に、あなたの人生をゆだねてはいないでしょうか。

上記会見の後半、2:52:55のあたりで、只野弁護士が後藤政志氏の記者会見出演の経緯を説明しています。後藤氏の勇気に感謝するとともに、ほかにも彼のような人がいないか、本当に一般市民のことを考えて活動、情報発信している人がいないか探し求めました。

2011年03月12日 15:00   福島第一原発の事故以前

Juno

福島第一原発の事故後、すぐに「これは大変なことになった」と思ったのは、事故以前から原発のことを気にかけていたことが大きいです。

遡ること30年余り、1980年に、私の出身県の高知で窪川原発の開発が話題になっていました。当時は、ニュースや子供向けの本などで、「石油は、あと○○年で無くなる」、「地球の人口がこのまま増え続けたら大変なことになる」という情報が流れていました。そして、このことを私も、科学的な裏付けのある「事実」だと思い込んでいました。

小学生だった私は、同年代の従兄と、「どっか(自分達と関係のないところ)に地震でも起きて、地球の人口が半分になったらいいのに」という、不謹慎な話をしていました。また、原発を安全と言いながら、高知のような田舎につくろうとすることに不信感を覚え、「安全なら東京につくったらいいのに」みたいな話もしていました。安全だけど都会にはつくらないという原発に対する考え方のおかしさは、小学生でも分かることです。都会にはつくらない、イコール危険性があるという理解のまま大人になりました。

趣味や仕事でものづくりに関わり、「どんなものでも壊れる」、「設計が悪いとより簡単に壊れる」という前提で考えるようになったことも大きいです。20代に約5年半、競技用の自転車をつくる仕事に関わりました。競技など、極限状態での使用を前提としたものに必要以上の強度(重量増につながる)を持たせるのは、はじめから勝つことをあきらめているようなものです。当時の社長が「うちの(競技用)フレームは、今まで一度も(金属疲労で)壊れたことがない」という主旨の発言をしていました。そのことを聞いたときは、競技に適さない過剰強度(必要以上に重く競技に不利)になっているか、たまたま今までそうだったことを、これからも起こりえないと希望的予測を述べているだけで、科学的な思考の持ち主のすることではないと思いました。そして、社長の発言を聞いてから何ヶ月も経たないうちに、「フレームに(金属疲労による)ヒビが入った」というお客さんがやってきました。壊れないでほしいという希望は、しばしば簡単に裏切られます。壊れたあとで設計を改めることはできますが、そうしたところで、今後は壊れないなどという希望は、耐久性に寄与しません。壊れるかもしれないという前提で、できることを積み重ねてゆくしかありません。

20代前半に高知から東京に移り、そして、30代前半に神奈川に居を移してからは、浜岡原発の存在が気になりだしました。この頃には、原発の事故隠しの情報もあきらかになっていました。子供の頃に信じていた科学的予測(とされていたもの)の多くが外れ、TVや新聞、本やネットで目にする情報に対して、懐疑的な立場を忘れずに接するようになりました。

もともと心配性で、気になることは調べないと気がすまないたちなので、原発関連のサイトなどに多数目を通しました。有名どころでは、故、平井憲夫氏の原発がどんなものか知ってほしいストップ!浜岡原発などがあります。また、どのサイトだったかは失念しましたが、加圧水型原子炉の配管に起きる減肉、それに伴う事故についての情報に目を通し、なんと危険なものを動かしているのだろうと思いました。

浜岡原発が活断層の真上にあることを知り、当時住んでいた伊勢原(神奈川県)の家との距離を把握してからは、あそこがいったら住めなくなる、いついくかも分からないから、将来は大丈夫なところに移りたいというようなことを、妻と話していました。

そして、浜岡原発の心配をしているうちに、先に福島第一原発が壊れてしまいました。

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