2011年03月18日 15:00   危険性の認識

Juno

福島原発の事故状況について、一部の知人は、私と同様、破滅的な被害を予測していました。ですが、友人、知人、ご近所さんをはじめ、多くの人が、ある程度の期間で事故が終息するか、そもそも事故の規模がたいしたことがないという印象を抱いているようでした。

この頃、マスコミでは、喪失した電源を確保するため外部電源を接続し、炉心や使用済み燃料プールを冷却する目論見が伝えられていました。私は、これらの発表が荒唐無稽であると判断し、次のような予測を立てていました。

  • 外部電源確保のための配線完了見込みが、どんどん先延ばしになり、予定していた期日に作業を完了できない。
  • 外部電源確保のための配線確保が完了しても、タービンやポンプが動かない、複数ある原子炉の一部しか電源を供給できないなどの理由で、炉心を冷やすという目的を果たせなくなる。
  • 建屋に放水しても炉心を冷却することができないので、再臨界、水素爆発、水蒸気爆発などにより、遅かれ早かれ大量の放射性物質が放出される。
  • 高い放射能により、原発への接近がさらに困難になり、チェルノブイリでやった石棺のような手段しかとれなくなる。

私が信頼に値すると見なしていた情報では、既に燃料棒が溶け、メルトダウンのような状態になっているとの見方が主流でした。燃料棒の融点が2800度ですから、これが溶けているような場合、圧力容器の内部は、極めて高圧になります。そんなところに消防のポンプを繋いで水を送り込もうとしても、水が入って行かないか、必要な流量を確保できず焼け石に水になるだけでしょう。電源が確保できれば炉心を冷却できるという話は、事態が良い方向に進捗しているように見せかけ、安心感を与えるためのポーズに過ぎないと判断しました。

また、仮に消防のポンプで水を送り込めるようなら、圧力容器の密閉性が損なわれ、内容物が漏れ出ている状況にあると判断しました。高温高圧になっているはずの圧力容器に水を送り込めるとしたら、密閉性が損なわれているに違いないという考えです。結局、水が入って行く場合も行かない場合も、どちらにしても手が付けられないと判断せざるをえませんでした。

福島第一原発の事故では、大気中だけでなく、海洋にも大量の放射性物質が放出されました。この頃目にした情報で、漏れ出た放射性物質が従来の安全基準におさまるように希釈するには、全海洋の1/10の水を必要とするという話もあります。壊れた原子炉、建屋の数、原発にある放射性物質の量、日本の人口密度などを考えると、うまく収束しても、チェルノブイリと同程度の被害は避けられないのではないかと思いました。

2011年03月18日 12:00   海外移住の第一段階として高知へ向かう準備を

Juno

海外移住と言っても、すぐに飛べるわけではありません。猫もいます。となると、まずは、できるだけ安全な場所に身を置かないといけません。福島原発からの距離を考えると、関東に居続けた場合、今後の状況いかんによっては、甚大な健康被害を被ると考えました。

私の出身地の高知には、両親、兄弟、多くの親戚が住んでいます。その中で、以前、従兄が住んでいた家が、空き家状態になっていることを覚えていました。

従兄に電話をし、つぎのようなことを伝えました。

  • 原発の事故によって、日本の広範囲が住むのに適さない場所になってしまうこと。
  • 原発事故の状況は、極めて厳しいこと。日本のマスコミでは安全、安心が強調されているが、海外の見方は、全くことなること。
  • 原子炉の冷却が不可能であり、放射性物質の漏出を止められないこと。
  • 被害は関東にもおよぶ可能性が高く、仮に直接的な被害が無かったとしても、日本の経済状況などが変わることで、事故以前の常識を前提とした将来が期待できなくなること。
  • 可能な限り早く避難したいので、空き家になっている家を貸してほしいこと。

従兄は、二つ返事で了解してくれました。高校の先生をしているその従兄には、「修学旅行で関東に来る予定がある場合は、行き先を変更したほうがいい」ということも伝えました。このことは、従兄から従兄の学校にも伝わり、そのことが直接的な原因ではないようですが(あとで父兄からの意見もあったようです)、従兄の高校の修学旅行は、関東には寄らないコースに変更されました。

仮住まいが決まったあとは、実家に連絡をし、日本での生活を諦め、最終的には海外移住する意向を伝えました。両親からは、「そうかね」という反応が返ってきました。これは、私が自分で決めたことを、他者の意見で変えないことを知って(言うのを諦めて)のことと思います。

下の兄にも連絡をし、神奈川から高知への移動形態によっては、岡山のあたりまで迎えにきてもらいたいことなどを伝えました。このときは、まだ移動日も移動方法も確定しておらず、空路、鉄道、車のどれを使うかなど、決めないといけないことがたくさんありました。

このとき、上の兄は入院していました。1月に事故を起こし、生死の境をさまよい、やっと命に別状がないと言えるところまで回復してきたところでした。これまでの人生でなにかと私のことを助けてくれ、応援してくれていた兄のことも、自身の人生を考え直すきっかけになっていました。人生で大きな決断をせまられたとき、大事なことは自分で決め、決めた道に向かって進まなければと言い聞かせていました。

2011年03月17日 15:00   日本脱出を決意

Juno

寿命が縮むかことを覚悟したうえで今の場所に住み続けるにしても、その前提として、福島第一原発の事故対応が適切に行われなければいけません。ですが、ここ2、3日のあいだでも、「それはないだろう」と思うようなことが多々ありました。

3号機爆発によって、日本という国が沈むことは、確定的になっています。汚染された土地に住む人、事故によって被害にあった人をもれなく保証するのは、不可能です。チェルノブイリ原発の事故が旧ソ連崩壊の要因のひとつとなったように、福島第一原発の事故は、日本という国に致命的なダメージを与えました。にも関わらず、事故の被害を過小に見せかける対応が続けられ、根本的な対応は、行われませんでした。この段階で、次のようなことが国民に伝えられるべきだったと考えています。

  • 福島第一原発の事故は、日本という国にとって致命的で、これから先長いあいだ、日本は、厳しい状況に置かれる。日本は、貧乏国になってしまう。
  • 事故による被害があまりにも甚大で、被害への保証をしたくても保証できない。財源がない。そのことを納得してもらったうえで、国としての対応を進めざるをえない。
  • 汚染がひどい地域は、今後長期にわたって住めなくなる。放射性物質の拡散を抑えるためにも強制避難地域とし、全てのものの移動は、制限せざるをえない。
  • 汚染が相対的に低い地域も、放射能汚染による悪影響をうける。汚染状況を公開し、その値を把握してもらったうえで、国民に我慢を強いることになる。
  • 逃げたい人全員が逃げることすら困難。皆が損害を被るなかで、できるだけ公平な対応(国民全員が公平に損をする)を取らざるをえない。

妻とも相談し、日本を離れることを決意しました。決意したあとは、海外の知人にそのことを伝え、協力をしてほしい旨訴えました。下記は、当時出したメールでよく使ったフレーズです。

I guess one third or half area of Japan will be a place where is not suitable for live in. We would like to live in the English‐speaking world. I appreciate your help for our evacuation.

これらのメールを出したとき、内心では、「住めなくなるのが国土の1/10程度でおさまってくれれば、まだ救いがある。なんとかそうなってほしい。」と思っていました。ですが、チェルノブイリ原発の事故と比較すると、悪いほうに転んだときに、国土の1/3から半分が住むのに適さない地域になってもおかしくないです。

2011年8月現在、従来の放射線管理区域の定義を厳密に適用すると、住むのに適さない地域は、悪いほうの予測に近いものになっています。それどころか、汚染された物質の拡散を促進し、日本全体が住めなくなってしまうような対応がとられています。

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