2011年03月20日 15:00   自宅の処分、日本に戻らない決意

Juno

住み慣れた自宅は、手放すことにしました。

チェルノブイリ原発事故がソ連崩壊の一因となったように、福島第一原発の事故は、日本の経済に致命的なダメージを与えるでしょう。

地震、津波、原発事故によって被害をうけた人に、人道的な見地に基づいて補償を行うことを考えてみます。そのとき、補償に要する金額は、膨大なものになります。地震と津波だけなら、厳しいながらもなんとかなったかもしれません。復興に伴う負担増に耐え、時が経つごとに、前進したことを実感できるようになったと思います。

原発の事故は、この希望も吹き飛ばしてしまいました。放射能汚染された土地に長期にわたって住めなくなることは、チェルノブイリの先例に学べばあきらかです。

原発事故により、日本が失う土地は、いかほどでしょうか。それが仮に1/10になると仮定してみます。このような広大な土地代を、東電が補償できるわけがないです。国や自治体が補償するにしても、結局、その財源は、国民の懐から払われることになります。日本国民が平均して1/10の資産を失うことになると考えると、何も行動を起こさずに自分だけが今までと同じでいられると考えるのは、平和ボケではないでしょうか。

実際は、失う土地が1/10の場合、それに伴う損失は、1/10よりはるかに大きなものになるでしょう。被害をうけた人の移動に要する費用、失業補償、精神的な損害などを考えると、膨大な金額になります。

自宅を手放すのは、つらい選択でした。平和なときに手放すのと比べると、はるかに悪い条件で処分することになりました。ですが、これから先のことを想像し、「今なら損失が1ですむけど、1ヶ月後には損失が2になるかもしれない。1年後には10になるかもしれない」と考えて決断しました。もう二度と日本には戻らない、戻りたくても戻れなくなるかもしれないと思い、そう自分に言い聞かせました。

原発事故は、これまでの生活の前提を変えました。そのことを認識し、人生の損切りができない人は、将来、もっと多くのものを失うことになるかもしれません。原発事故のリアルな情報に触れられる者は、既に抜け駆けをしているのではないでしょうか。仮に、「関東も住めなくなるかもしれない」ということを、ごく一部の人が知り、その人が関東に会社や不動産を所有していたら、他者に情報を伝える前に、自身の資産の処分を検討するのではないでしょうか。爆発によりプルトニウムが飛散したと思われるなか、「ただちに影響はない」と繰り返しつつも自身は高性能のマスクを着けるような人達が、国民のためを思って、将来のリスクを避けるための情報提供をしてくれるでしょうか。

日本人は、「国の借金が1人あたり○万円ある」と、常に脅されています。ですが、この借金の大半は日本の国債なので、もしチャラにされとしても、国際社会のなかで日本が沈んでしまうことはないでしょう。

日本が大量に買っている米国債は、どうでしょう。これから日本は、海外にものを売りにくくなります。特に食品は、安全なものを確保しようと思うと買う一方になります。輸入超過で持ち出しが多くなり、財政が立ちゆかなくなったときの資金源として、「米国債を売るからよろしく」と言えるでしょうか。

私が米国の立場なら、「日本の原発事故による汚染で被害をうけている」として、日本が売りたい米国債に見合うか、それ以上の損害賠償請求をするでしょう。米国だけではありません。原発事故による汚染は、多くの国にとって、日本からの借金をチャラにするチャンスになっています。事故による汚染は地球規模での深刻な事態ですが、それとは別に、多くの国が、その国の経済事情で動いています。自国が厳しい状況にあれば、日本を助けることより自国を優先するでしょう。

日本という国が、自国民を守ろうとしないことにも絶望しました。これも、日本を離れる決意を固いものにしました。

2011年03月19日 15:00   高知への引っ越し準備

Juno

海外移住の第一段階として高知に移住することとなったので、そのための準備を進めました。

あいにくの引越シーズンと重なり、引越業者、移動日ともに自由には選べませんでした。引越シーズンが終わるのを待ち、予定を先延ばしにしていると、それまでに致命的な事態を迎えてしまうかもしれません。ぎりぎりの準備期間を残し、移動日は3月25日(金)に確定しました。引っ越しの積み込みは、その前日です。

引っ越し先の従兄の家には、誰も住んでいません。ですが、従兄と従兄の姉弟の所有物などが残ったままになっており、引越後に自由に使えるスペースは、かなり狭くなってしまうことが予想されました。

また、最終目的が海外移住であることを考えると、日本から持ち出せない、持ち出すのが困難、移住先で再度購入するほうが好ましいものは、この段階で処分するのが妥当だと考えました。火事のときに、すぐに手に取れるものをつかんで逃げるぐらいの覚悟で、泣きながら多くのものを処分しました。

8年半ほど暮らした家ですから、家の中は、使い慣れたもの、安心感を与えてくれるもので満ちています。自宅にあわせて設計、自作したキャットタワーや猫棚(猫が窓の外を見るための棚)、9割方完成していた猫のケージ、妻が毎日のように演奏の練習をしていた電子ピアノもあきらめました。

4匹の猫は、同じ飛行機で高知に飛べることが確定していましたが、60cmの水槽で飼っていた熱帯魚は、引越業者の取り扱い対象外でした。引き取り手も探しましたが、なかなか見つからず困っていたところ、知人が飼ってくれると申し出てくれました。とても感謝しています。

引っ越しの日が確定してから、多くの人が家を訪れました。廃棄を覚悟していたキャットタワーなど、一部のものは、知人に引き取ってもらったことで、ずいぶん精神的に救われました。

自宅を訪れたなかで、引っ越しの理由として、「放射能汚染から逃げるため」ということを伝えられた人と、そうでなかった人がいます。なぜ避難するのか、避難に値するほどの危険性があると認識しているのか、そのことを全ての人に伝える時間は、ありませんでした。

このエントリーを書いている2011年8月現在、日本が、汚染された土壌と水、食料への徹底的な対策をとる方向にシフトすれば、まだ、安全性の担保された暮らしを続けられるかもしれません。今、このときまでもそうなるよう願ってきましたが、汚染食品が47都道府県にもれなく出回るなど、事故そのものの酷さ以上に、対応の酷さが目につく結果となっています。

3月に高知に引っ越したときは、日本が貧乏な国になっても、高知では安全な暮らしができるのではないかと期待していました。この期待が揺らいでいることが悲しいです。

2011年03月18日 15:00   危険性の認識

Juno

福島原発の事故状況について、一部の知人は、私と同様、破滅的な被害を予測していました。ですが、友人、知人、ご近所さんをはじめ、多くの人が、ある程度の期間で事故が終息するか、そもそも事故の規模がたいしたことがないという印象を抱いているようでした。

この頃、マスコミでは、喪失した電源を確保するため外部電源を接続し、炉心や使用済み燃料プールを冷却する目論見が伝えられていました。私は、これらの発表が荒唐無稽であると判断し、次のような予測を立てていました。

  • 外部電源確保のための配線完了見込みが、どんどん先延ばしになり、予定していた期日に作業を完了できない。
  • 外部電源確保のための配線確保が完了しても、タービンやポンプが動かない、複数ある原子炉の一部しか電源を供給できないなどの理由で、炉心を冷やすという目的を果たせなくなる。
  • 建屋に放水しても炉心を冷却することができないので、再臨界、水素爆発、水蒸気爆発などにより、遅かれ早かれ大量の放射性物質が放出される。
  • 高い放射能により、原発への接近がさらに困難になり、チェルノブイリでやった石棺のような手段しかとれなくなる。

私が信頼に値すると見なしていた情報では、既に燃料棒が溶け、メルトダウンのような状態になっているとの見方が主流でした。燃料棒の融点が2800度ですから、これが溶けているような場合、圧力容器の内部は、極めて高圧になります。そんなところに消防のポンプを繋いで水を送り込もうとしても、水が入って行かないか、必要な流量を確保できず焼け石に水になるだけでしょう。電源が確保できれば炉心を冷却できるという話は、事態が良い方向に進捗しているように見せかけ、安心感を与えるためのポーズに過ぎないと判断しました。

また、仮に消防のポンプで水を送り込めるようなら、圧力容器の密閉性が損なわれ、内容物が漏れ出ている状況にあると判断しました。高温高圧になっているはずの圧力容器に水を送り込めるとしたら、密閉性が損なわれているに違いないという考えです。結局、水が入って行く場合も行かない場合も、どちらにしても手が付けられないと判断せざるをえませんでした。

福島第一原発の事故では、大気中だけでなく、海洋にも大量の放射性物質が放出されました。この頃目にした情報で、漏れ出た放射性物質が従来の安全基準におさまるように希釈するには、全海洋の1/10の水を必要とするという話もあります。壊れた原子炉、建屋の数、原発にある放射性物質の量、日本の人口密度などを考えると、うまく収束しても、チェルノブイリと同程度の被害は避けられないのではないかと思いました。

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