2011年04月03日 15:00   ビザ取得の壁

Juno

当初は、アメリカへの移住を想定して準備を進めていました。「日本を離れ、海外で暮らしたい」という意向を伝えたなかで、自宅の部屋の提供、アメリカでの生活のスタートのサポートを申し出てくれた知人がいました。

私が彼ら(夫婦と子供2人)に会ったのは、一度だけでした。2002年、ケンチク家の日詰氏とともに、共通の研究をしていた彼らを訪ねたのでした。彼らは、初対面の私たちをとても歓迎してくれました。そして、その後、年に1度あるかないかというぐらいですが、メールでのやり取りを重ねていました。

3月11日に地震がおきたあと、日本と私たちのことを心配するメールをもらいました。彼らへの返信メールで「状況がより深刻になりそうなら、実家のある高知に避難する」ことを伝えました。そして、その翌日には、日本を離れる決意を伝えることになりました。

とにかく日本を離れるということしか考えていなかったため、ビザや永住権の取得については、ほぼ未調査でした。計画と称した無計画停電、仕事、引っ越しの準備などで時間もとれませんでした。

神奈川から高知に引っ越す前には、ワークショップ用につくらせていた多面体のキット、それらの組み立ての際に必要な工具類を、アメリカの知人宅に宛てて発送しました。これらも、一度は処分することを考えたものです。過去に創作したものなども全て、あきらめないといけないと思ったからでした。

引っ越し後、ある程度落ち着いてから、ビザの壁に直面します。目指すは永住権です。ビザを取得し、日本に帰らなくてもすむように、永住権取得に繋げないといけません。

アメリカの永住権取得が難しくなっている話は、把握していました。ですが、情報を集めるにつれて、その前段階となるビザの取得も、相当な困難を伴うことが分かってきました。

アメリカに限らず、英語圏の先進国で労働ビザを取得する場合、相手国から来てほしいと思われるような売りがないと厳しいです。では、低賃金の単純労働ならOKかというと、そうもいきません。労働ビザ発給の根拠となる労働を提供する会社は、雇用者に一定の賃金を保証しないといけません。それは、日本で「サラリーマンの平均年収」とされている金額と同等か高いぐらいです。賃金に見合うパフォーマンスを発揮できる見込みがなければ、会社は雇ってくれません。

言葉の壁もあります。ある程度の収入が保証されるような仕事では、英語でのコミュニケーションがとれないと話になりません。十分な英語力がないのに雇ってもらおうと思ったら、英語力を補って余りあるセールスポイントが必要になります。

アメリカには、多くの知人がいます。アメリカも多くの問題を抱えた国ですが、広大な国土があるので、国が傾いても国民を食べさせるだけの食糧は自国だけでまかなえます。このようなことも考え、しばらくは、アメリカにターゲットをしぼって道を探っていました。ですが、調べるにつけ、ビザや永住権の取得が困難なこと、あまり将来の展望が明るくないことが分かってきました。協力の依頼をしていた多くの知人から帰ってくる、「アメリカは不景気なので」という返信からも、計画の再考をせざるをえないと考えるようになりました。

記事の末尾です

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